必要書類を求めて20年前に住んでいた街に行ってきた。
僕の本籍地は東京と千葉の間くらいにある。
下町であり住宅街であるため都会という感じはしない。
それは20年経っても変わらなかった。
でも20年もすれば街並みは変わってるし、さすがに小学生低学年の記憶も曖昧でどこが変わったかも正直分からない。
それでも変わらない部分、覚えている部分もあった。
当たり前ではあるけど僕の身長も伸びて目線の高さが変わったせいか、見え方は全然違った。
変わらない部分があるからこそ、変わった部分が目についてしまう。
なんなら面影なく全て変わっていてくれたら、このどことなく感じる寂しさも感じなくて済んだかもしれないのに。
その街にとって僕は完全な部外者であって、僕の住む場所じゃなくなっていたと感じた。
でもそれはきっと街が変わったのではなく、僕が変わったんだと思う。
今の僕には今住んでいる場所の方が居心地が良く、またあの街に住みたいとは思えなかった。
別にそこに寂しさは感じない。
自分のモノではなくなったものに固執するタイプではないし、その代わりに新しく手に入ったモノの方が僕を変えてくれる。
20年前、その街はとても広くてキラキラして見えていた。
今ではとてもくたびれた街に見えてしまったけど、そんな風に世界を見ていた自分もいたんだと気付けたことは大きな発見だった。
成長すると環境が変わっていく。
環境が変われば手放すものも増えていく。
それは残念に思うけど悲しいことではない。
裏を返せば新しいモノ、新しい自分に出会うチャンスというわけだから。
じゃあ、どうして君はソレに固執してるの?
君が手放さなきゃいけないモノは本当にソレなの?
でもどうだろうね?
本当は何だっていいんだよ。
全部自由だもの。