いつも遊びに来てくれてありがとうございます✨
このブログは、鶴間のPlace×Place(プレイスプレイス)というダンスホールのお知らせと、斉藤君のくだらない話を書いたりしています❗
僕には一種の病的なクセがあります。
それは自分の子ども(架空)に、これまで学んだこと・感じたことを教えるというクセです。
僕の想像上ではその子は、男の子で小学3年生くらいですね。
その上で我が家の家訓(架空)は「美しくあれ!」なんです(?)
度々美しさについて考えた内容のブログがあったと思いますけど、いつも言うように美しさは女性に限ったものではありません。
僕の言う美しさは表面的なことではなく、人間としての在り方。
生き方や価値観、気高さなど内面や考え方を含めた姿勢を美しさと言っています。
正直言って僕はまだまだ美しさとは程遠い存在です💧
うーん。残念😢
そのためどうあるべきか。どうするべきなのか。色々と考えては、やり直している感じですね。
それでも自分が答えを求めて、もがいて苦しい気持ちを経験することで、それがどれだけ大変なことなのか知ることができます。
その過程は無意味ではなく、それはそれで必要な経験なので得るものも多いのですが、自分の子どもには足踏みすることなくもっと高みを目指してほしいと思うものですよね?
…思うものですよね?💦(推測)
だから脳内で、息子(架空)に美しさとは何なのか?今の現時点での僕の持論を教えてあげているのです!(?)
(以下、妄想)
「いいか。美しさっていうものは何も女の子だけに使う言葉じゃないんだぞ。
お前もカッコよくなろうとして頑張っていればそのうちカッコよくなって、その先で美しいと言われる領域まで行けるかもしれないな。もしそうなりたいと思える日がきたら頑張れるといいよな。
でもなぁ。
服装とか髪型みたいに外側だけカッコつけてもダメなんだぞ?
それに悪ぶってみるのもカッコ悪い。
なぜならそういう人は、他者に評価してもらえる強みや、自分で自信を持てる強みがないから悪ぶって目立とうとするしかないんだ。
ポーズだけカッコつけても中身が伴ってなければ、むしろ何もしてない人よりダサく見えちゃうんだからな。
高級な服着て表参道歩いても、トイレの鏡でずっと前髪いじってても美しくなることはないぞ。
逆にスポーツとかで褒め言葉として美しいって表現されることもあるよな。
野球のホームランや、サッカーの芸術的ドリブルやシュートなんかも美しいって言われたりする。
野球もサッカーも汗と泥にまみれたところから卓越した技術は生まれてくるんだ。そういう人たち人より何倍も努力しているからな。
そう考えると美しさっていうのはな、美しい場所からは生まれないんだよ。
本当に輝かしい美しさっていうのは、もっと暗ーいところから生まれてくるんだ。
だか…」
ハァッ!Σ(゜Д゜)!!!!
なんということだ💦
自分の子どもに教えてたはず(妄想)なのに、とんでもないことを教えられてしまった❗
本当の美しさは、美しいところからは生まれない。
バチーン⚡と衝撃が走りました!
人として美しくありたいと思ったら泥をすするような思いで日々努力を続けなければならないんだ❗
一朝一夕で手に入れられるものなんて美しくない。
そうだったのかぁああぁ💢💦
と。
端から見たらこういう意味不明なクセを持ってるんですね。
(まあ、考えてるだけですから見えないんですけどね。)
やっぱり人に話すってことは自分の思考を進めるためには大切なことです。
友達や家族と話してて「あ、私こんなふうに考えてたんだ」と気付くことって皆さんにも経験あると思うんですよ。
だからアウトプットは重要ですよね。
でも残念ながらこういうことを話せる友達がほぼいないんですよね。
というか、こんな話をしてたら逆に友達いなくなりますけどね。
むしろ悲しいことに元々そんなに友達いないんですけど(゜ロ゜)
そういう友達がいないから自分の子ども(架空)に話してみたり、ブログに書いてたりするんです。
読書も著者との対話や討論に近い感覚ですね。
意外とこういうことして過ごすのは面白いのでオススメですよ!
友達いなくなるからオススメしませんけど!
…どっち?σ( ̄∇ ̄;)
それでは鶴間で、またお会いできることを楽しみにしています✨