すごい怖いことに気付いてしまった…。
過去はどうであれ、今の僕は容姿も能力も、境遇も生き方だってそこそこ恵まれていると思う。
でもそれは自分は何も持っていないという劣等感から抜け出そうと努力してきたからだ。
とはいえ今恵まれているといっても、平均より上っていうだけで周りと比べても意味がない。
僕の求める幸せはもっと先ある。
だから僕は進むことをやめない。
挑戦して限界を感じるときこそ、生きてるって感じるから。
多分このまま継続していけば、遅かれ早かれいつかは目指している幸せにたどり着ける。
おそらくここまでくれば規定路線だ。
自分の仕事を見つけてお金もそれなりに稼ぐ。
この人だっていう人を見つけて幸せな家庭を築く。
時間に追われることもなくなり、自分の自由を手に入れる。
まだ手は届かないけど、もう見えてる。
いつかは訪れる未来だ。
やっとここまできたんだ。
でも、待って…。
それが僕の幸せの形なの?
その幸せって「安定」だよね。
僕が求めてきた「自由」とは違うものだよね。
「人間にとって停滞とは劣化である。」
安定とは停滞であり、停滞ということは成長が止まり後は老いるだけ。
何かに熱を燃やして、挑戦していることが幸せって感じられてたんじゃなかったっけ?
頑張った先が理想と真逆の未来になってない?
僕はさっき、ふと理想の幸せになったときのことを考えてみた。
お金があって時間もあって、大切な家族もいる。
それで…?
それはみんなが羨む幸せでしかない。
それはつまりとても美しい、カゴの鳥。
外から見ると幸せだけど、中にいる鳥に幸せはない。
将来の幸せな自分の横にもう1人の自分がいた。
「僕だけ幸せになって、なんか意味あるの?」
って突然言ってきた。
急に理想が虚しく見えた。
どうやら違うらしい。
潜在意識に矛盾があるとエネルギーは正しく発揮されない。
正しく向きをそろえなきゃ。
少しずつねじれが見えてきてる。
分からないけどこれって潜在意識にアプローチできてるのかな?
顕在意識で自分の内面と対峙するうちに、潜在意識にたどり着くことってあり得るのかな?
まぁ。
でもそんなことどうでもいいや。
結局、僕はどうなりたいんだ?