けんぴいダンス

社交ダンスホールPlace×Place(プレイスプレイス)in鶴間の紹介ブログ

幸せの形

※これは個人の意見です。

社会的賛同が得られないことは理解しています。














人に対して親切すると自分も幸せになれる。

「情けは人の為ならず」ですね。




多分あたたかい空気で心が通じ合っている状態も同じような幸せを得られると思います。



今の時代は「give and take」ではなくて「give and give」だと言われていますし、僕も幸せ云々は別にしてそうあるべきだと思っています。






でも親切にしたって、心が通じるような関係を作ったって、感じられる幸せのエネルギーが弱い気がするんです。




というより僕が今までそうあろうとし過ぎたせいで、慣れたのか?疲れたのか?


分かりませんけども、他者に施す行為ってそんなに幸せな気持ちになれるものじゃないなって思ってしまいました。





別に親切な行為をすることに見返りやリターンを求めているわけではありません。


でもそこまでメリットあるわけでもないですよね。








もちろん自己中心的な態度で周囲を不快にしたり、気遣いができず迷惑をかける人を肯定しているわけではありません。


大丈夫です。

そんな人はどのみちどんなにお金稼いでも、成功しても幸せにはなれないですから、近寄らずに遠くで哀れんでいてあげればいいんです。







そりゃそんな人がたまに親切にしたら「これが幸せか!」と思うかもしれませんが、それが日常の人からすれば「何言ってんだ?」って話ですよね。








傷つけることは良くないことですが、無理して幸せを配る必要もないんです。



それを幸せと認識して受け取ってくれる人には見返りなく与えてあげたいと思いますが、何とも思わず当たり前だとすら思って無意識のうちに踏みにじっている人の方が世の中多いですからね。






僕が与えられる幸せの価値はそんなに低いものだとも思っていないので、渡す価値がある人だけに渡したいと思いました。













とまぁ、ここまでの考えは理解できない人もいるかもいるかと思います。



でもそれでいいんです。

これに対して批判してくる人は与えるに値しない人ですから。




「そうは思わないけど、そういう考えもあるよね。」とか、

「あ、そう…。どうでもいいけど。」くらいの方が正しい反応だと思いますね。









まあ、言いたいことはこれじゃないんですけど…💧



僕が感じる幸せの大きさって、人に良いことをするよりも、自発的に何かに挑戦したり新しい自分を開拓したりする方が大きいんだなって気付きました。





前にも書きましたが僕は聖人ではありません。

僕は人助けを目的とした人生を生きたいわけではなく、いつまでも自由を求めていたいんです。








人助けはやりたい人に任せておいた方がいいと思います。

その方が幸せの総量が大きくなりそうですし。




僕は自分でやりたかったり、気が向いたときくらいにやるスタンスにします。








僕はまだまだ崖を登ってる途中です。



僕だって一生懸命登ってるのに、あんたらの勝手な都合で助け求められてもどうすることもできないよ💧




僕が登りきったらロープ降ろしてあげるからさ。

今から僕のこと掴まないでもらえる?