けんぴいダンス

社交ダンスホールPlace×Place(プレイスプレイス)in鶴間の紹介ブログ

久しぶりのポエム

前にも書いた気がするんだけどねぇ。



最近改めて思うようになったから、なんとなく書いてみようかな?















みんなにとって「幸せ」って何なのか?



「幸せ」の定義っていうものはあるのかな?





















僕にはあるんだよ。


まだせいぜい30年くらいしか生きてないから、改良の余地あり!ではあるんだけど。






















僕の「幸せの定義」っていうのはかれこれ4年前くらいに大元の形が決まって、2年前くらいにもう1つの要素を足したことによって決まってる。



だからここ2年間は僕の「幸せの定義」はブレてないし、なんなら4年前には原型が完成していた。


















このことはちょうど1年前の自粛時期くらいに書いたのかな?


もう一度書いてみようと思ってる。











僕の「幸せの定義」は4つの要素から成り立っている。


以前はその4つの要素の優先度をつけていたけど、
今は少し解釈が変わってきた。



その4つは優劣があるわけではなく、全て対等な同価値である。






人によってもしくは年齢や環境によって、そのバランスが少しずつ変わるのかもしれないけど…。



















その4つの要素とは、


・お金

・時間

・人間関係

・健康




この4つ。













多分どれか1つに固執してしまっている人も、この世の中には少なくないと思う。



確かにこれまで生きてきた経験や周りの環境で、どの要素も全く同じように平等とはならないと思うけどね。








でもどれか1つでも欠けてしまった状態では幸せとは呼べない気がする。


要はバランスだよね。








もしかしたらまだ他にも要素はあるのかもしれないけど、ここ2年の間にこれらに並ぶ価値のものは思い当たらなかったかな。
















この中でどれが1番か?という質問は不毛だと思う。


結局全てが揃ってないと幸せにはなれないと思うから。












とはいえ僕はまだ若いし体も動くから、若干「健康」の部分を減らして他の要素に割り振ることもできる。



でも逆に「健康」のために「時間」や「お金」を使う人だっている。



それはその人次第なところはあるよね。













僕は最近「人間関係」の要素が人生を好転させると思っていたから、そういう行動をとっていたけどちょっと違ったね。



鶴間のお店をやったりすることでやっぱり「人間関係」の重要性を知ったんだけど、僕が今1番見つめ直すのは「時間」であるべきだったんだって。









「お金」は取り戻せる。

「人間関係」は新しく作り直せる。

「健康」は上の2つが揃っていればどうにかできる。









でも「時間」だけは1度失ってしまっては取り戻せないし、代替を用意することもできない。







4つは同価値ではありながら、「時間」だけは少し重みが違う気がする。












すごいお金持ちになってしまえば「お金」で、「時間」や「健康」(一応「人間関係」も?)買えるんだけど…。


そうはなるのはやっぱり難しいからね。











だから僕は自分の手に時間を取り戻さなくちゃいけない。



自分の時間というものは、自由と言い換えることができる。


ここで注意したいのは何度もこのブログで書いているように、自由と責任は対義語ではなく同義語。







全て自由にできるということは、その全ての責任を自分で負わなくてはいけない。


逆に言えば、全ての責任を背負う覚悟さえあれば、自由に挑戦することができるわけなんだよね。









性格というかタイプというか分からないけど、人は大きく2つに分かれると思ってる。




・自由で縛られない方が力を発揮できるタイプ。

・決められたルールの中の方が力を発揮できるタイプ。




優劣はないし、どちらの人間もいないと世の中は回らないと思ってる。


それでも僕自身は前者だと思ってる。









サラリーマン時代に学んだんだよ。


僕の真面目の部分が「キレイな歯車になろう」としてしまって、僕本来の力を発揮することができなくなってしまうことを。








そんなのこのブログを見てれば分かるよね。


束縛がなく自由の方が、僕らしさ(変わり者という正体)を発揮しやすくなるんだから。








毎日お店のお知らせをしてればブログのネタを考える必要はないけど、そんなもの毎日見たいとは思わないよね。


僕の個人的な行動や考えが書かれているから、なんとなく面白く見えるんじゃないかな?




(まあ当然、逆にこの内容だから見たいと思わない人だっているだろうけど。)











僕が僕らしく生きるためには自由が必要で、そのために時間が大切なんだよね。

















最近本で読んだんだけど、「もっとも独特で面白く人の興味を引く脚本っていうのは、もっともパーソナルな物語なんだ」って言葉。



「誰かのために」という気持ちはとても大切で人生を良い方向へ進めるものではあるんだけど、人を楽しませたり勇気づけたりするためには、しっかりと自分の物語(人生)を綴っていく必要があるということ。








だから僕は、もう少し自分の物語へと目を向けるべきだと思った。


自分のための物語は、全責任を負った上で完全に自由にできる。





それこそが僕らしさが発揮できる環境だし、結局それをしていった結果「誰かのために」に戻っていくと思う。









幸い僕は人に恵まれているから、僕の周りの人たちは応援してくれる人が多い。


それは本当にありがたいことだし、感謝したいと思う。







逆にそれで裏切られたと思う人は自分本位な人なんだなって思う。


人が幸せや夢を追うことを留めたり、自分の不都合になるから止めようとする。






そういう人からは離れて然るべきなんだよ。


そういう意味では良い転機だよね。






プラスとマイナスをハッキリ区別して清算できるんだから。










僕は下を見ることを止めて、前を向く。


見える景色が変わっても恐れる必要などない。






そこにはまた新しい道が見えるだけだから。