1.
夏の日は深緑が映える。
絵の具で塗ったような青空。
見ただけで質量を感じさせる雲。
そこにこの緑だ。自然はただ悠然とそこにある。人の悩みなど些細なものだと思い知らされる。
空が近い。手を伸ばせば届きそうな気さえする。
そう思わせてくれるほど山は高く、それほどこの村は山奥かつ標高の高いところにあるということだ。
何もない村。
平和という言葉ではない。
そう、何もない。それがこの村を表す唯一の言葉なのだ。
2.
村に子どもは少ない。
こんな村で貴重な青春時代を使うわけにはいかない。
もしかしたら言葉は違うかもしれないが、そんなようなことを言って、みんな18になる頃には街へ出てしまう。
いるのは都会の学校でいう中学生くらいだろうか。少年が2人いるだけだ。
もちろん何もない。カラオケやらダーツやら聞いたことはある。当然憧れる。
しかし見たことがない。リアリティがないものには興奮できない。なぜなら昔から期待などしていないのだから。
もっぱら遊ぶとなれば村に唯一ある神社だ。
何もないのはみんな知ってる。だから管理しているおじさんも注意などしてこない。
村の子どもたちはそうやって育ってきたからだ。
そういえば昔、神社の建物に入ろうとしたら怒られた。だから建物には入らない。外で遊ぶのだ。
そうやって過ごしていれば都会への憧れもその一瞬は忘れられる。
今日も明日も、来年も。
3.
彼らは神社にいた。それはいつものことだった。
約束せずとも神社に行っては日が暮れるまで、何をするわけでもない。
走って、しゃべって、その辺にある枝を振り回すだけだ。
それでも子どもたちの心は満たされた。
しかしその日は違った。
強い夕立ちがあったのだ。
気づいたときには空一面にドス黒い雲が広がり、ダーッとこの世の音とは思えないような轟音を響かせながら大雨が降り注いだ。
何しろ急なことだったので2人は神社の中へ駆け込む。そこは以前怒られた、立ち入り禁止の建物である。
禁止されていることをするのは、中学生にとって非日常的で興奮する出来事だ。
びしょ濡れになった自分たちの姿と少しの背徳感に、2人は思わず吹き出した。
4.
立ち入りを禁止された場所。
誰もいない暗い室内。
外は滝のような大雨。
誰かが来る心配もない。
ここは今、少年たち2人だけの空間なのだ。
だいぶ時間が経ったように思える。いや数分だったのかもしれない。
時間感覚が狂うほどはしゃいだ。疲れることはない。それは若さゆえにではない。興奮が収まらないのだ。
すると突然、1人があることを思い出す。
神社の1番奥の扉には、この村が代々守ってきたとされる仏像があるのだと。
恐る恐る開けると、そこには木でできた古ぼけた仏像があった。
「大人はこんなもんを大事にしてんのか」
2人だけの世界で気が大きくなった少年たちは、日頃つまらない村の生活を否定するかのように捨て台詞を吐いた。
自分の力を誇示するかのように仏像を持ち上げては楽しんでいた。
5.
どうしてだろう。
今になって冷静に考えてみれば何が楽しかったのかわからない。
ただ静寂につつまれた空間に2人の少年はいた。
外では変わらず大雨が降っていて、さっきまで気にならなかった音が、今はハッキリとうるさいほどに聞き取れる。
ゆっくりと顔を上げ、お互いの目を見る。
そしてまたゆっくりと目線をおろす。
そこには無惨にも首元からぽっきりと折れてしまった仏像が床に転がっていた。
本当に世界の時間が止まった感覚がした。
6.
いつの間にか雨は上がっていた。
あんなに強い雨だったのに。心配して親が探しにくるかもしれない。
見つかった大変なことだ。まだまだ中学生にとっては親の存在は大きい。
「隠すしかない…」
2人は少し離れた場所に仏像を埋めた。
幸い雨でぬかるんだ土は埋めた後の隠蔽工作にはうってつけだった。
変に掘り起こした感じには見えない。
それだけで充分だった。ほかの場所より少し盛り上がっていることに2人は気づかなかった。
それよりも誰かに見つかることを恐れた。
2人だけの秘密として誓い合い、お互い急いで家に帰った。
7.
少年は叩き起こされた。
昨日神社に忍び込んだ友達が息を切らして玄関の扉を何度も何度も叩くからだ。
少年は寝起きが悪い。眉間にしわを寄せながら少し不機嫌そうに言った。
「んだよ。うっせーな。」
言い終わる前に少年の顔から表情が消え始めた。
目の前の友達は息を切らしながら飛び出しそうなほど目を見開き、ひたいには昨日の雨を思わせるほどの汗、それに反して顔色は魂を抜かれたような青白さをしていた。
8.
村では大きな騒ぎになっていた。
「坂名さんが死んでるって!」
坂名は代々祭事を仕る家系であった。
しかも不可解なのは鳥居の下で亡くなっており、遺体の頭部がなくなっていたのだ。
それでも家族はその遺体の体つきを見るだけで大黒柱を失ったことはわかった。
小さいが歴史ある村だ。これまで協力して生きてきた自負は村人全員にあった。
誰が坂名を殺したのか。誰一人として思い当たる節がなかった。
9.
3週間が過ぎた。
2人は神社には一切近づかない。というより家から一歩も出なくなっていた。
食事も喉を通らない。2人はそれぞれの家にいて、やんちゃ坊主であった面影を見ることが不可能なほどやつれていた。
母親からしても仕方ないことだと思った。
なにしろ頭の無い遺体がこの1ヶ月近くで3体も見つかっていた。
しかも全てこの子が良く遊んでいた神社で見つかっているのだから。
中学生はまだまだ子どもだ。そんな事件があったら精神的にこたえるのは当然だと母親は思った。
10.
地井は険しい山道を登っていた。
その顔には苦悶の表情に加え、わずかな笑みが浮かんでいた。
まだ見たことのない景色。まだ出会ったことのない人々。彼は新たな出会いにいつも心躍らせていた。
どうやらこの山の先に地図にも載らない歴史ある村があるらしい。
真偽不明のうわさながら、地井は心躍らせていた。
11.
坂名の事件からもう2ヶ月は経っただろうか。
首無し事件の被害者はますます増えていた。
あれから村の空気は重くなりみんな外出を控えるようになった。警戒心や猜疑心という施錠で扉も心も固く閉ざされてしまっていた。
しかしそれでも事件は起こってしまう。
なぜなのか。
これはもう人為的なものではないのかもしれない。全ての事件は神社で起きている。
これは祟りかもしれない。
いや、祟りに違いない。
この村では今、祟りが起きているのだ!
12.
村を見つけた。
噂は本当だったのだ。疲れが一気に消し飛んでいく。
地井の足は鼓動に比例してどんどん速くなる。
しかし村に着くと足はピタリと止まる。
人が住んでいるのだろうか?
まだ昼過ぎだというのに誰一人として出歩いていない。
生気を失った村。そういった言い方がふさわしい村に思えた。
13.
村に来訪者が来た。
そこまで珍しいことでもない。これまでも年に何回はそういうことがあった。
その度に歓迎はするものの、やはり外部の人間が来ることは良い気分ではない。
観光の浮かれ気分で私たちの生活を遠慮なく乱してくる。
普段なら殺気にも近い感情の上に繕った笑顔の仮面をかぶって接している。
しかし今回はそうではない。これは願ってもないチャンスなのだ。
この来訪者を上手くおだてて、祟りを解決してもらおう。
我々にはどうすることもできない。この人間に解決してもらうしかないのだ。
そうだ。これもきっと神の導きなのだ。祟りを鎮めるための神からの救いの手に違いない。
事実などどうでもよい。我々の平穏さえ取り戻せれば。
14.
地井は啞然とした。
期待に胸を膨らませてきた秘境の村が、連続殺人の舞台だったのだ。
いつの間にか、その脚本の登場人物の1人にされてしまった。
今から帰っても夜の森で遭難するだけだ。かといって泊めてもらえば見返りに協力せざるを得ない。
地井は頭をかかえた。さっきまで浮かれ気分で登っていた自分を殴り飛ばして帰りたい気分だった。
15.
昨日の夕食も、先ほどの朝食もなかなか悪くない。
いや、むしろこれまで訪れた町村の中では上位に入るほどだ。
こんなに満足したのは久しぶりだ、と地井は自分の少し出た腹をさすった。そうするとまた脳裏にはごちそうの満足感が思い出されるのだ。
と、我に返った地井は大袈裟に首を振る。
違う。それどころではないのだ。連続殺人に巻き込まれてしまったのだ。
しかも村人は祟りだと言って何もしようとしない。ただ毎日震えながら祈っているだけだ。
はたから見るとその姿はまるで謝罪しているようだ。
本当に祟りだとしたらお前らは何かをしたのか?そうでないのならまるで滑稽ではないか。
無罪の人間が謝って何になる?何も解決しないのだ。
自分で行動しなければ道は開けない。
そのことを教えてやろう。
仕方ない。いい飯も食べさせてもらってしまった礼だ。
何よりこの結果は俺の不用意な行動が引き起こしたものだからな。
心の中でつぶやいて、地井は小さくため息をついた。
16.
地井は村人に案内され神社を調べる。
約2ヶ月で7人も殺されている。異常なペースだ。しかも必ず神社の中で。
それに加えて自ら外出する者などいないと言う。
当たり前だ。夜に外出しようものなら殺される危険があるし、そうでないにしろ犯人として疑われかねない。外へ出るメリットが一切ない。
地井は神社の中に入る。
入った瞬間気温が下がったのかと思うくらい神聖な空気を感じる。
背筋がゾクゾクっと震え上がるのを感じた。
奥には代々守られてきた仏像がしまってあるという。祭事を行う担当者は殺されてしまったようなので詳しいことまではわからない。
村人数人から聞いた話を繋ぎ合わせて、自分の中で話を成立させるしかなかった。
村には不思議な力があり、恵まれていたらしい。これまで出された食事を食べた今、地井はそれに納得せざるを得なかった。
確かにこんなへんぴな村でここまで食材に恵まれているのも不思議だ。
村人たちはこの村に伝わる神のご加護だという。
鼻で笑いたくなったが、信じてしまえるほどの説得力がその話にはあった。
しかしオカルトだ?
そうであるならこの殺人事件は解決できないではないか。
飯はともかく、俺はこんなところからさっさと帰りたいのだ!
話を聞いていてもキリがない。地井は奥にあるという仏像を見せてもらうことにした。
仏像に何があるって言うんだ。心の中でつっこみながらも、なぜか見ないといけないような気がしていた。
17.
ゆっくり扉が開く。
みんなが息を飲む。地井だけは仏像が取り出されるのをいまだに待っていた。
それが違うのだと気づくまで時間はかからなかった。
あるべき場所に仏像が無いのだ。そうわかったときには悲鳴と焦り交じりの話声にのまれていた。
盗まれた?いつから?いや、そもそも無かったのか?祭事担当がいない今その事実はわからない。
村人の中からは、仏像が夜な夜な出歩いて人を殺しているんだと言う者もいた。
その一言で人々はそれを事実と信じ込んだ。
18.
犯人はわからない。
しかし手がかりもない。とりあえず仏像を探すしかない。
途方にくれて部屋から出ると、村中の住人たちが神社前にいて、全ての視線が地井に集まっていた。
みんな俺に期待しているのだ。
やれやれ困ったものだとため息をつくと、違和感に気づいた。
そこにいるのは村の子どもだろう。ひどく震えている。いやそれはわかる。大人たちも祟りだと怯えているのだから。
しかしそうではない。尋常ではなく震えているのだ。
あげく歯を食いしばりながら泣いている。
それに何か目配せしているようだ。
あぁ、端にいるもう1人の子どもに対してだ。
そちらは泣いてこそいないがやつれきってきて不気味だ。震えているのは変わらない。
きっとなにかを知っているに違いない。
いやむしろ、仏像については彼らが犯人なのかもしれない。
ただ、聞いたところで彼らを傷つけるだけなのもわかっていた。
彼らは殺人事件とは無関係なのだろう。しかし大人が祟りと言うから、殺人事件の責任まで背負ってしまっているのかもしれない。子どものかわいい勘違いだ。
地井は自分の子ども時代を思い出していた。田舎の子どもにできることなど限られている。
その発想で考えれば自ずと答えは見えてくるものだ。
19.
地井は村人を集めて仏像を探すことにした。
まだ空は明るい。
ただ暗くなってしまっては捜索はできない。
そうなれば俺は帰ることはできない。
そうだ!殺人事件の犯人など探す必要はない。
仏像さえ見つかれば祟りのせいにして、一件落着ということにしてしまえばいいのだ。
地井は渡された軍手に勢いよく手を突っ込んだ。
20.
2時間くらい経っただろうか。日が落ちようとしていた。
「あった!あったぞ!」
野太い男の声が響く。
地井は慌てて声に向かって走る。これで帰れる!今日中には帰れるかもしれない。
数人の村人をかき分けて仏像を見る。
地井は息を飲んだ。
仏像の首が折れていたからだ。
発見者の顔見た。その男は慌てて首を振った。
どうやら発掘途中に誤って破損させたわけではないらしい。
ふむ。誰か…が仏像を壊し、隠蔽のためにそれをここに埋めた。
それから首無し遺体の祟りが起きた。
辻褄は合っている。
祟りを恐れ、2ヶ月も怯えた生活をする村人たちの判断力を考えればこの理屈で充分だ。
真実が祟りであろうがなかろうが、これで村人たちは納得する。救われるのだ。
仮に犯人がいたとして、こんな騒ぎになってまで殺人を続けられるだろうか?
快楽を覚える猟奇殺人犯でなければ、ただ引っ込みがつかなくなっていただけだ。
祟りが収まったとなればちょうどいい止め時だろうし、これ以上続ければ祟りのせいではなく人災だと疑われてしまう。
そうなればどちらにしろ猟奇殺人犯だって違う場所へ移るだろう。
…いや、もういいのだ。
俺の事件は終わった、これでいい。
膝まづき泣きながら不自然に震える子ども2人を片目に、地井は帰りの準備を始める。
安堵と歓喜に狂喜乱舞する大人たちは、子どもたちの様子に気づかない。
何も言うまい。この先どうなろうと、それは俺の物語ではない。
子どもたちが仏像を壊したであろう事実を、ひた隠しにしたまま罰せられなくても。
仮に本当に彼らのせいで多くの村人が死んでいたとしても。
彼は罪を隠しながら、その村人たちに大切に育てられていくのだろう。
村に来たときとは全く別の祝福と感謝を受けながら、地井はゆっくりと山を降りていく。