けんぴいダンス

社交ダンスホールPlace×Place(プレイスプレイス)in鶴間の紹介ブログ

悟りもどき

 

知り合いのお坊さん(どっちでしょうか?)から、悟りについて聞いたことがあるんです。

 

軽く聞いただけなので詳しくは分かりませんけど、これまでの人生とは見え方が一変するような気付きみたいなことだったような気がします。

 

そんな大それたことではないですが、考え方や見え方が変わることって少なからずあるわけです。

 

この記事を書いているのは3/23ですが、少し見え方が変わりましたね。

 

僕自身の発言や行動のせい?

それとも読んだ本の影響?

 

それに立場や関係が変わると考え方も変わるものですね。

僕自身は何一つ変わっていなくても。

 

色々とらわれすぎてたんだと。

ほとんどが僕に関係ないことなんだと。

 

また1つ大人になりました。

いや、子どもに戻ろうとしてるという方が正しいか?

 

名前と境界

 

名前を付けるってすごく便利なことだと思う。

人や物だけじゃなく、感情をはじめとした抽象的なものにも名前があるから、イメージやニュアンスに最も近いものを自分で選んで伝えられる、他人と共有できる。

 

それはそうなんだけど、名前を付けることで意味とか特性を与えてしまうというデメリットもあるんだなって。

 

「〇〇(人名や職業など)はこういうもの」

「〇〇はこうあるべき」

 

などと含みを持たせる余地なく限定させてしまうということ。

人に伝えるという意味ではズレは無い方がいいわけだけど、そのせいで自分の思考を固定させてしまったり狭めたりしてしまうことも起こってしまう。

それでいてその束縛された不自由さを自分では自覚しにくいという落とし穴まで付いてくる。

 

物事を限定的に確立すればするほど、世界の境界がハッキリしすぎちゃうんだなって。

もっと曖昧でいいのかも。

 

スピリチュアルとかだと「宇宙と繋がってる」とかいうのかもしれないけど、自分と世界の境界線をボヤボヤにした方が変なことに悩まなくて済むのかもしれないね。

「宇宙と繋がる」とか言葉で聞くと意味不明だけど、実際に腹落ちして体感した人にしか分からないこともあるだろうし。

(僕は分からないけど…。)

 

結局、左脳優位で生きてると考えすぎるし余計な悩みや疑念が増えやすい。

スピリチュアルって本質的には右脳優位で生きようよって話なのかもしれない。

 

もっと曖昧で適当に生きても、この先の人生が劇的に変化していくこともないだろうし、そんな感じでいいんじゃない?

 

ルッキズムの弊害

 

気付かないうちにも簡単に世の中の価値観に引っ張られていくんだなぁと思った。

 

テレビ持ってないから見てないはずなのに、結局YouTubeやらLINEニュースやらで少しずつ染められていくのかな。

 

最近よく言われるようになったルッキズム。(容姿第一主義みたいな。)

 

僕はその考えをメインにしてるつもりはないけど、やっぱり外見や態度、特に表情からその人を判断しちゃうものだね。

とはいえそんなのは昔からやってたことだけど、最近は前よりその傾向が強くなったかも。

 

それに容姿(顔や体型、服装)に対するコンプレックスも知らないうちに持ってたりもする。

昔は髪型も気にしなければ、半袖短パンで大学行っても気にしないし、似合ってないメガネかけても謎に自信満々だったのにね。

 

その考えに毒されていつしか内面の自信すら失い始めてる。

全部、外見容姿からくるものに狂わされてる。

昔は開き直ったように「人は中身が大切だ」なんて思ってたけど、パーマかけてみたりヒゲ脱毛してみたり化粧品でケアしてみたり。

別に悪いことじゃないしプラスに働くことなんだろうけど、僕の価値観はそこじゃなかったはずなんだよね。

どんどん大切なものを失って薄っぺらくなっていってる気がしてる。

 

そうじゃないんだよなあ。

もっと心の強さだったり意志の強さだったり、自分が自分でいられる確固たる信念こそが自分らしさなんじゃないかなって思うわけ。

 

もう1回初心にかえって、信念でも練り上げてみようかな。

そうすれば他人のことも外側で判断することもなくなるだろうし、世の中から解放されそうな気がしてる。

 

 

 

余裕とプライド+‪α‬

 

何度も書いてきたけど、デキる人かどうかの判断は「目が見える人」だと思ってる。

 

・先を見据えることができる人

・周りが見える人

・状況を俯瞰的(&客観的)に見える人

 

そう思ってきたけど、それってその能力があるかどうかだけじゃなくて、その能力を使える心の余裕があるかどうかも関わってくると思い始めた。

普段能力が高い人でも、いっぱいいっぱいになったときは目先のことにとらわれて目が見えなくなることなんて普通にあるからね。

 

つまりは余裕が大事ってこと。

(目が見えない人は、まずは見えるようになってとしか言えないけど。)

 

あとは、プライドね。

無駄にプライド捨てられないと新しいことに次々挑戦することができなくなるから、安いプライドなど捨ててしまえと思ってた。

新しいことを始めるというのは、また1から下積み、下っ端になるってことだから自尊心が邪魔してできない人も多いみたい。

 

結構プライドとか自尊心っていうとネガティブな要素も含むことも多いし、それらのせいで人と友好的関係を築けずにギスギスする人もいるわけだから、そんなもの不要だと感じてた。

 

でも最近はそういう一面があったとしても、プライドや自尊心は必要なもののような気がしてきた。

そういうのって要は「自分はこうありたい」という強い思いの裏返しなわけだからね。

野球のイチロー選手やホストのローランドさんのように自分を奮い立たせる要素にもなりうるわけだ。

 

結局プライドだの自尊心っていうのは、ネガティブな面も含めたアイデンティティなんだろうね。

 

僕の好きな言葉に「人は長所によって尊敬され、短所によって愛される」って言葉があるけど、良い面と悪い面があって初めてパーソナリティーになるんだろうと思えるようになってきた。

 

 

つまりは、余裕とプライド。

それに感謝かな。

 

 

そんなもんじゃない?

生きる上で大切にするテーマって。

 

まぁ、どこを切り口にするかによって大きく変わるけどね。

 

 

過去最速

 

おー、確定申告書を提出したぞぉ。

毎度のことながら、早めに出すつもりでいていつもギリギリに提出してたからな。

締切の約2週間前に出せたのは過去最速だろうよ。

 

我ながら褒めて遣わす💡

特別な日

 

今日はうるう年ですけど、そんなことはどうでもいいですね。

 

人類初の偉業を成し遂げた大谷翔平選手が結婚するという事件が起こってしまっては、4年に1度の出来事など霞んでしまいますよ笑

 

よくマスコミから逃れたなぁと関心してしまいますが、相手の詮索はプライバシーの観点からNGです。

 

しかし自分の娘に「私、結婚します!」って紹介された相手が大谷翔平だったらどうします?笑

どんなに厳格な昭和親父だろうが「お前に娘はやらん!」なんて言えませんよ😅

 

開いた口が塞がらないまま、ポカーンと硬直しちゃいます。

というか義理の両親になったというプレッシャーで胃腸やられちゃいそうじゃないですか?

「わしの娘、大谷翔平と結構したんだ」って自慢したいでしょうが、娘の幸せのためにもグッと我慢しなくちゃいけないのも結構なストレスかもしれませんし。

 

家に来ようものならソワソワして気を遣いすぎて、変な態度になって自責の念にかられるのがお約束になりそうです。

そう考えると、大谷翔平選手じゃなくていいから普通の人と普通に幸せになってほしいというのが親の願いなんでしょうかね?

 

やっと多くの人が夢から覚めることができたと思えば良い出来事だったのではないかと思ったりもします。

 

同級生の羽生君のようにならないように、幸せになってほしいところですね!