けんぴいダンス

社交ダンスホールPlace×Place(プレイスプレイス)in鶴間の紹介ブログ

名前と境界

 

名前を付けるってすごく便利なことだと思う。

人や物だけじゃなく、感情をはじめとした抽象的なものにも名前があるから、イメージやニュアンスに最も近いものを自分で選んで伝えられる、他人と共有できる。

 

それはそうなんだけど、名前を付けることで意味とか特性を与えてしまうというデメリットもあるんだなって。

 

「〇〇(人名や職業など)はこういうもの」

「〇〇はこうあるべき」

 

などと含みを持たせる余地なく限定させてしまうということ。

人に伝えるという意味ではズレは無い方がいいわけだけど、そのせいで自分の思考を固定させてしまったり狭めたりしてしまうことも起こってしまう。

それでいてその束縛された不自由さを自分では自覚しにくいという落とし穴まで付いてくる。

 

物事を限定的に確立すればするほど、世界の境界がハッキリしすぎちゃうんだなって。

もっと曖昧でいいのかも。

 

スピリチュアルとかだと「宇宙と繋がってる」とかいうのかもしれないけど、自分と世界の境界線をボヤボヤにした方が変なことに悩まなくて済むのかもしれないね。

「宇宙と繋がる」とか言葉で聞くと意味不明だけど、実際に腹落ちして体感した人にしか分からないこともあるだろうし。

(僕は分からないけど…。)

 

結局、左脳優位で生きてると考えすぎるし余計な悩みや疑念が増えやすい。

スピリチュアルって本質的には右脳優位で生きようよって話なのかもしれない。

 

もっと曖昧で適当に生きても、この先の人生が劇的に変化していくこともないだろうし、そんな感じでいいんじゃない?