性格とか、自分らしさとか、アイデンティティとか。
これって単なる「思考パターン」にすぎないんだ。絶対的なものじゃない。
「そういう人」っていうよりも、「そういう考え方をする人」って感じだね。
嫌なことがあったら、怒る人・泣く人・忘れる人・そもそも感じない人などなど。
それらを性格って言っちゃうと変えようがない気がするけど、目の前の事象に対してどういう考え方をするかっていうパターンだと考えれば変えられる余地はあるよね。
だから例えば片付けられないでいわゆる汚部屋にしちゃう人は、多少汚れても気にしない思考回路だし、そうじゃない人は少しでも汚れれば掃除しないと済まないと感じてしまう思考パターンってこと。
結局考え方の傾向でしかないなら、自分探しとか意味ないものだったんだ。
だって自分らしさは思考パターンの積み重ねだから。
もし自分を変えたいと思うのなら、反応や行動、考え方を変えていくのが一番の近道だろうね。
そう考えると、自分というのものは存在しないと思っている人たちがいることも少し分かったりもする。
この僕は単なる思考パターンであって、絶対的に存在するわけでもなければ、意味のある存在ではないと思うこともできる。
それを無気力に捉えることもできるし、余計な緊張感やら責任感から逃れる根拠としてもいいわけだ。
それこそ僕なりの思考パターンでね。
今を大事に生きる人、将来に向けて備える人、過去にすがってしまう人。
それも全部思考パターン。選ぶことも手放すこともできるわけ。
僕って存在が思考でしかないのなら、もっと気楽に生きてよさそうだよね。