このブログ見てれば分かると思いますけど、僕って中身ちょっと変わり者じゃないですか?
それを外には見せないようにする才能が飛び抜けてるのかもしれませんけど。(そんな才能より僕も二刀流の才能欲しかった…。)
その変わり者要素ってどこから生まれてきたのかと考えてみると、思い当たることとしては
①両親共働きの一人っ子で、他人より自分の心の内側と話すことが多かったこと
②小説や物語よりも人の人生半生について書かれた本を好んで読んでいたこと
だと思うんですね。
僕自身はこの結果には満足してますけど、果たしてこの2つの方法で僕みたいな人間が出来上がるかどうか再現性があるかどうかは謎です。
ただ最近の悪いこととしては、僕が「普通」に憧れてしまったことですね。
世の中に興味を持ってしまったことです。
YouTubeとかで流行りや常識に触れすぎた結果、自分探しとか訳分からん方向に走り始めてしまったわけです。
自分という存在を自分自身は認識していますから、具体的に存在するものとして考えてしまいがちですが、自分というものは実は抽象的概念でしかなく存在しているかどうかすら怪しいという考え方が哲学の分野にあったりします。
つまり最近の僕は、具体的に存在するものと思って彷徨い続け、実は存在しない自分という虚像を探し求めていたというわけです。
現実的に例えて言えば徳川埋蔵金やネッシーを必死になって探していたわけですよ。
元々そうじゃなかったはずなのに…。
僕は思い出したんですよ。
前の僕は自分らしさなんか探さずに、世の中の真理を探そうとしてたんです。
(そう書いちゃうともっとヤバいやつになりそうですが💧)
自分というN=1の再現性のない個ではなく、人の人生半生を学んでもっと普遍的なルールを探して自分で実践検証しようとしていました。
その結果、変わり者と思えるほどの独特な内面が出来上がったんだと思ってます。
僕は今でもホストやYouTuberを尊敬していますし、一面では参考にさせてもらっています。
でも、成功しているホストやYouTuberはもちろん努力や才能で今の地位を築いたのだとその点では尊敬しているものの、それは運も絡むような再現性のない個だったわけです。
そりゃあ僕が追いかけても迷走するだけです。
少年たちは大谷選手をマネするななんて言われるのもそういうことでしょう。いくらすごくてもできる人はほんのひと握りの限られた人だけです。
やっと思い出した。
原点に立ち戻れと。
前にやっていたように、人の人生経験を追体験してサンプルを増やし、重なる部分や良いと思った部分を抽出して実践検証すること。
そうやって僕は出来上がってきたわけですから、また同じように今後も積み重ねていけばいいんです。
だってそれが楽しかったんですからそれでいいんですよ。
自分探しならぬ、真理探し。
自分という個よりも大きな流れを見つけていきたいですね。