けんぴいダンス

社交ダンスホールPlace×Place(プレイスプレイス)in鶴間の紹介ブログ

本選びを間違えていた

 

いつの間にか表層の薄っぺらい本ばかり読んでいたんだなって思った。

人間力というか、内面の強さみたいな部分をすっ飛ばしてた。

目先のスキルとか手段とかばかり追いかけていたからおかしくなってたんだ。

 

もっとマインドとか人間力と言われる部分を磨いていこうと思った。

もう少し内側について書かれた、そういう本を読んでいくことに決めた。

 

結局はそういうところ。

 

努力の正体

 

努力は裏切らないってよく言うけど、まぁそれはケースバイケースだよね。

自分の成長を目的としてれば絶対に裏切られることはないけど、他者との比較の場合は裏切られることだってあるでしょう。

逆から見てみれば、他者の努力は実っちゃってるからね。

 

それはさておき、結果を出すために努力する。っていうのは少し違うような気がしてきた。

むしろ「努力を証明」するために、結果を出す。っていう考え方であるべきなんだろうな。

 

そうじゃなきゃ「努力すること」に焦点が当たっちゃって、手段が目的になってしまってる気がする。

結局、結果ありきで努力しなくちゃいけないわけだ。

(努力した)自分のためにも結果を出してあげなきゃいけないんだよね。

 

結果が伴ってはじめて、努力が認められるって感じかな。努力が証明される、努力が観測されるっていうのか。

多くの人が勘違いするけど、他者が認めてくれるわけじゃなく、認めてくれるのは自分自身。

人から褒められるよりも自分で自分を認められる方が何倍もうれしいからね。

 

結果が出ちゃえばそれが努力になっちゃうわけで。

たまに「努力なんかしてない。楽しんでやってきただけ。」って言う人もいるけど、結果が出てしまえば楽しみだろうが運だろうが、周りからすればそれは努力に見えるだけなんだろうね。

 

要するに何よりも「結果を出す」ということが、「努力している」という証明になるんだろう。

僕も結果を求めていきましょう。

 

結局は内側よ

 

最近、資格勉強するよりも読書してた方が将来的に役立つんだと思ってます。

 

もちろんスキルも大事ですけど、結局最後は人間力じゃないですか?

 

僕のお父さんは「社交ダンスは潰しがきかない」なんてよく言ってましたけど、まぁ確かにダンスが上手かろうが社会に出たら何の技能にも活かせませんからね。

 

その考えには賛成ではありますが、でもそれはダンスばっかりやってしまってるからだと思うんです。

 

僕は(過信ですけど笑)ダンスを続けてきた中で培った人間力を用いれば、前に勤めていたときよりも良い社会人になれる気がしてます。

 

起業したいと思ったらまず「何をやるか」を考えてしまいますが、何をやるかなんてぶっちゃけ何でもいいと思うんですよね。

「誰がやるか」とか「どうやるか」の方が結果が大きく変わってくると思います。

 

大谷翔平選手やイチロー選手は野球でNo.1プレーヤーになりましたが、彼らがサッカーやバスケやってたとしても(No.1にならないにしても)ある程度の成功はしていたはずなんです。

それは「彼ら」だからですよね。

 

その考え方や姿勢、価値観が彼らをそうさせたわけですし、外側よりも中身なんじゃないかと思うわけです。

 

とはいえこれから僕が野球選手になるわけもないわけですけど。

そうじゃないにしても、それを自分にどう活かすかは考えていた方が良さそうですよね。

少なくとも損はないだろうし。暇だし笑

 

簡単に思いつくところと言えば「人間力」、「物事に向き合う姿勢」でしょうか?

あとは「自信」とか?(自分を信頼するって意味で)

 

結局外側で勝負できるところなんて浅いところですよ、きっと。

別にもう、凄い人とか大金持ちになろうという気持ちも手放しましたから、自分の手に入れたい幸せへと進めるだけの推進力を強めるためにも内側を強固なものにしていきたいですね。

 

逆にそうなれたら、後はもう何やってもいいんですよ!

それこそ僕の土俵じゃないですか?笑

 

本を読む→考える→実践する

 

の繰り返しでこれまで通り、少しずつ自分を育てていこうと思います。

 

読書と自分

 

やっぱり本読まなくなると、考える時間が無くなるからブログ書くこともなくなるね。

 

読書って新しい知識を入れるって目的もあるけど、ある考えを基に自分の考えをまとめたり改めたりすることが一番のメリットだと思う。

 

今は資格勉強して本を読む機械が激減してブログ書く気にもなれないけど、どっちが僕の将来としては有益だろうか?

どうせ使わない資格をポーズで取ったところで、自分自身の中身を育てて人間的に成長できた新しい自分には敵わないからね。

 

どっちもできたら理想だけど僕はそこまで器用じゃないからな。

でも確実にターニングポイントはやってきてるから。

もう少し明確にしたいものだね。

 

目標と計画

 

資格勉強していて思うけど、計画の立て方ってやり進めながらしかできないんだなって。

「毎日〇ページやる!」なんて言ったって、得意な問題のときはスルスル行けるし苦手なところはめちゃくちゃ時間かかる。

それに自分の体調や気分の問題もあるしね。

 

目標は先に立ててもいいと思う。

ゴールが決まらないとなかなか頑張れないし。

ただ計画は先に立てちゃダメだ。

やりながら進度に合わせてその都度立てていかないとうまくいかないもんだね。

 

 

変化

 

両親共働きの一人っ子で、元々人と話すことが苦手。

多感な時期に学校を転校したこともあって、そんな少年期を過ごしているとパーソナルスペースと呼ばれる人との心理的距離を大きくとるような子どもとして育ってましたね。

 

子ども時代に身についた性質というものはなかなか取り払えるようなものではないですから、そういう自分が嫌になることも多々ありました。

 

でもいつからでしょうね?

パーソナルスペースがかなり薄くなってきてることを実感します。

 

鶴間のお店をやる責任感と毎日毎日の接客回数のおかげ?

バンジージャンプ、料理教室、空手、コーチングなどなど色々経験して、変化していくことに対して慣れたおかげ?

それとも自分に少しずつだけど自信を持ち始めたせい?

 

結局は色んな要素が組み合わさってでしょうけど、人との距離感の取り方は大きく変わりました。

 

これまでの自分を思い起こすと、そんな姿の僕なんか自分じゃないと思うんですよ。

それでいながら一方で、変わっていくのが当たり前という考えも、頭の片隅で大きくなってきているんですね。

 

今まで色々経験してきましたけど、スキルや知識はしっかり身についてきたと思います。

ただ僕自身はいい意味で何も変わらなかったんですね。

何をしようと、どうなろうとも僕の中身は僕のままだったわけです。

 

これから先、色んな変化が訪れるでしょう。

ガラリと変わることから、目には見えないほど些細な変化だったり。

でもどんなに変わろうが、僕はきっと僕のままなんでしょうね。

 

それでいいんだと思います。

行先を見失っていようが、ゴールを見つけて進もうが、僕は僕のままです。

何を恐れる必要があるだろうか?

変化した先の僕も、自分らしいと信じて生きていたいですね。

 

どっちがいいかというより、その先の話

 

ちょっとすごいことだと思うんですよね。

当然人を騙すことは悪いことだって前提で話しますけど、経歴詐称してもバレるまではテレビのコメンテーターやら世界一選手の通訳やらになって信用まで勝ち取れるわけですから。

 

まあ、バレたらまずいという恐怖やバレた後の転落を考えるとリスキーですけど、成功したいならいかに外側が大事かってことが分かりますよね。

 

最近はルッキズムなんて言葉も流行ってますが、どうしても外見やら肩書きで周りの人は判断してしまいますから。

ハロー効果なんていう有名な心理現象もありますし。

 

僕は『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』という本や、ホリエモンの『ハッタリの流儀』って本を読んで衝撃を受けたわけです。

それまでの僕は容姿に自信がないことも相まって「人間、中身で勝負」って思っていましたが、これらの本の内容は真逆のことを言っていました。

「なるほど。確かにそういう面もあるよなぁ。」と正反対の考えを取り入れていたら、完全にそっち側に引っ張られましたね。

 

それが自身を苦しめることになるとは知らずに…。

 

一方で、「自分らしく」という言葉も流行ってますよね。(流行ってるっていうのか分かりませんけども。)

それは極端に言ってしまえば、ありのままで努力しなくていいという使われ方も一部ではされている気がします。

それもそれでズレちゃってます。

 

どちらがと聞かれたら、僕が思うにどっちでもいいと思います。

結局自分自身を成長させようという意志がそこにあるかどうかがポイントのような気がしますし。

 

外側変えて周りの評価を高めてからそこに追いつくのでもいいし、背伸びをせずに自分の得意分野を伸ばしていくのでもいいんです。

一番良くないのは、その状況に満足しちゃって何もしない事ですから。

 

まぁ言ってしまえば、両方大事って結論になるんですかね?

美味しいとこ取りができればいいわけですし、結果が良ければそれでオーライです。