努力は裏切らないってよく言うけど、まぁそれはケースバイケースだよね。
自分の成長を目的としてれば絶対に裏切られることはないけど、他者との比較の場合は裏切られることだってあるでしょう。
逆から見てみれば、他者の努力は実っちゃってるからね。
それはさておき、結果を出すために努力する。っていうのは少し違うような気がしてきた。
むしろ「努力を証明」するために、結果を出す。っていう考え方であるべきなんだろうな。
そうじゃなきゃ「努力すること」に焦点が当たっちゃって、手段が目的になってしまってる気がする。
結局、結果ありきで努力しなくちゃいけないわけだ。
(努力した)自分のためにも結果を出してあげなきゃいけないんだよね。
結果が伴ってはじめて、努力が認められるって感じかな。努力が証明される、努力が観測されるっていうのか。
多くの人が勘違いするけど、他者が認めてくれるわけじゃなく、認めてくれるのは自分自身。
人から褒められるよりも自分で自分を認められる方が何倍もうれしいからね。
結果が出ちゃえばそれが努力になっちゃうわけで。
たまに「努力なんかしてない。楽しんでやってきただけ。」って言う人もいるけど、結果が出てしまえば楽しみだろうが運だろうが、周りからすればそれは努力に見えるだけなんだろうね。
要するに何よりも「結果を出す」ということが、「努力している」という証明になるんだろう。
僕も結果を求めていきましょう。