けんぴいダンス

社交ダンスホールPlace×Place(プレイスプレイス)in鶴間の紹介ブログ

あえて見ないことに決めた

 

 

 

お店の店長やってたときに、色々気配りしちゃってたんですね。

 

 

色んなところに目をやって、先を読んで、人の表情見て、色々察しようと努力してたんです。

 

 

 

踊りながら色んなこと考えてるもんだから、今踊ってるお客さんそっちのけにしちゃってますよね…💧

 

ただ、それでもお客さんの満足度を少しでも高めるためには、僕が頑張って踊るしかない!と思ってましたし、意識はあっちこっち飛んでも手は抜けない状況ではありましたね。

 

 

最初のうちはやっぱり慣れてませんし、てんやわんやでパニック状態でしたが、それに揉まれたおかげで相当頭良くなったと思いますよ笑

 

もちろん学力が上がるということはありませんが、仕事をやる上での脳内の「ワーキングスペース」が広がったのでしょう。

 

 

 

 

今では見えなくていいものまで見えてしまって困っています。

 

 

そうですね。言うなれば人の「無自覚の悪意」といったところでしょうか。

 

 

それは目の前の人に限らず、その辺を歩く人まで対象になっているので本当にストレスが溜まりすぎて困ります。

 

 

 

僕はこのブログで頭の良さについて書いたことがある気がしますが、僕の認識では勉強ができることよりも、「目が見える」ことが頭の良さだと思っているんです。

 

周りを見て、先を見て、自分自身も客観的俯瞰的に見る能力です。

(僕は自分自身を客観的に見れてませんが…💧)

 

 

 

 

そういう観点から見て、なんと頭の悪い人の多いことか。

 

 

僕にとっては常識で、息を吐くかのようにできることが、できない人たちがいるんです。

 

当然その人たちのと価値観が違うからですけど、それを分かった上でもストレスが溜まりますね。

 

 

価値観の押し付けは良くないですから、人にとやかく言うことはありませんが、だからこそ疲れちゃうんです。

 

 

 

その人たちはそこに価値を置いてないから、気付かないだけなんですけどね。

 

なんで気付かないのか?と疑問とストレスがわくんです。

 

 

 

 

「気付かない」ことを「気付く」ことは、意識次第ですから簡単です。

 

でも、「気付いてる」ことを「気付かない」ようにするのは不可能ですよ。

だって気付いてるんですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だからね。

 

僕は「あえて見ない」ことに決めたんです。

 

 

 

 

 

 

でも大変ですよ?

だってそれが僕の大切にしていた価値観なんだから。

 

 

 

「気付かない」ってことは、僕の中では「頭の悪い」やつ、「仕事ができない」やつって認識ですからね。

 

 

とはいえ、それは僕自身を守るためにも、僕自身を育てるためにも必要なことです。

 

 

 

「嫌われない」ことと、「好かれる」ことは違う。

 

嫌われないためには、最低限のルールやマナーを守っていればいいんです。

お店で言えば「お茶がない、コーヒーがない、エアコンが寒い」とかみたいに、不快を避ける行為ですね。

 

 

でもそれはあくまで「嫌われない」だけ。

 

 

それができてれば「好かれる」わけでもないんですよね。

 

 

 

 

「好かれる」って、もっとその人の心の奥に刺さっていくことなんでしょうね。

 

だから逆に、人によっては不快に感じることもある。

 

 

 

もしかしたら人に「嫌われた」分だけ、人から「好かれる」のかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

だから僕は「見ない」ことにしたんです。

 

 

もういいんですよ。

僕はもう十分頑張ったんだと思いますよ、多分。

 

 

 

この能力(呪い)によって僕だけ割食ってたらおかしな話ですよ。

 

 

もちろんこれまで通り変わらず生活しますから、人の目を見て会話します。

 

ただ、そこから表情見て気持ちや背景を察することはやめるって話です。

 

 

 

サイコパスって悪い意味で使われがちですけど、そういう性質を持つってことですね。

 

 

 

 

まあ僕の場合、意識してやろうとすると徹底的になっちゃうので、そこは注意しないといけませんけど。

 

 

 

 

要は、見る世界を狭くするんです。

 

狭くした分、僕の世界の密度も色も濃くなっていくでしょう。

 

 

 

そうすると拒否反応で嫌われることも増えるかもしれません。

 

今の僕には怖いことかもしれませんが、でも大丈夫。

 

 

 

だってそれすらも見ないことに決めたんだから。

 

もっと自由に、子どものように生きていいんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

多分そうすることで、僕らしさを取り戻せるような気がするから。