けんぴいダンス

社交ダンスホールPlace×Place(プレイスプレイス)in鶴間の紹介ブログ

○「僕の意味」

いつも見にきてくれてありがとうございます✨



このブログは、もはや斉藤くんのくだらない話や「その後」の話を書いたりしています❗






僕が普段使うお店は、近くのドラッグストアか駅前スーパーなんです。



スーパーは基本的に食品も多いし安いです。

一方ドラッグストアはほぼ毎日1品だけ15%オフしてくれるクーポンをくれるので助かります。






そう聞くとどちらも一長一短のように感じますが、僕はドラッグストアの方が好きです。



もちろんドラッグストアなので食品も種類は少ないのですが、従業員教育が行き届いているのかスタッフの挨拶や声が明るく丁寧なんです。



一方のスーパーはあからさまにアルバイトでぇす…みたいな態度の人ばかりなのでレジの感じが悪いですね。


若い子だけがそうかと思いきやパートであろうお姉様方もぶっきらぼうです。






多分責任者がそういうところを気にしない人だから「類は友を呼ぶ」現象が起きて、真面目にやる方が気まずい雰囲気になってしまうという悪循環が発生しちゃってるんだと思います。






まあそれは単純に監督者の問題ですが、アルバイトしてる本人たちにとっても重要な問題です。



1度でもなあなあに仕事ができると思ってしまえば、この先人目を盗んで楽しようという発想が簡単に浮かんできてしまいます。



とはいえ「働き方改革」なんて言葉も流行りましたし、楽にお金貰えればいいやという働き方も一種のスタンダードになるのかもしれません…。













まあまあ。


別にスーパーの悪口を言いたいわけではありません。





僕はよく使いますし、ぶっきらぼうで態度悪い人には敢えて渾身のありがとうを伝えて反応を楽しんでみたりすることもあります😅







ただそんなことは決してスーパーやその他のアルバイトに限ったことではありません。



ダンスのアテンダントの中にもそんな種類の人はたくさんいます。





特にパーティーを主催する側を経験なんてしようものなら、アテンダントのダラダラ感や無能さがハッキリ見えてしまいます…。



「きっと自分もそう見られていたんだな」と反省しながら、人のパーティーに呼ばれたときには少しでも、見えないことでもプラスになれるよう行動するようになりました。









目線が変わると、正直イライラしてしまいます。



ダンスだろうとスーパーだろうと、そういった態度で仕事している人たちのことを「多分この人たちは頭が悪いんだ」と思っていました。



というより、そう思うことで自分に納得させようとしていたのかもしれません。








ただ最近気付いたんです。


別に彼らは頭が悪いわけではないんです。







というか、そもそも人間の生まれつきの能力などほとんど差がありません。



あのアインシュタインだって平均より小さい脳だったらしいですし、何より学者たちを驚かせたことは逆に「アインシュタインの脳は些細な違いこそあれど、常人と大きく異なる部分がない!」ということだったらしいです。









ではなぜあんなにも態度悪くて無能に見えてしまうのか?








それはきっとその人自身に「意思」がないからです。



そういう人は別に仕事をサボっているわけではありません。


言われたことをやってるだけです。







そう言えば聞こえは良いものの、単に言われたことをその通りやってるだけです。



それはプログラミング(指示)された通りに出力(行動)しているコンピューターと同じです。






要は機械と一緒なんです。



いつかITに乗っ取られる仕事ランキングなんてものもあるらしいですが、既に機械と同じようなら本物の機械に仕事を取って変わられるのに5年も10年もかからないでしょう。


(というか現にレジは機械になってきてるし…。)









仕事や作業をしている中にその人の意思や考えがないから、機械と同じになってしまうんです。




もっと分かりやすく言ってしまえば、この仕事をしているのが「自分である意味」を見出しているかどうかです。





自分にしかできないことや自分が必要とされていることが分かっている人は、自分の得意や長所を活かしてますます能力を発揮していきます。



それに意味付けできてない人は成長することはありません。







その価値は時間とともにどんどんと離れていってしまうため、有能社員と無能社員にわかれてしまうのでしょう。








僕は別に鶴間の責任者のポジションを押し付けられたわけではありません。


最初から僕にやらせて下さいと言って始めたんです。






初めから「僕だからできること」・「僕が作りたい空間」を試行錯誤で模索していたんです。



だから大きく決定的な差が生まれたんだと思っています。

(誰とか誰とか言いませんけど…笑)












だから自分で考えて「自分である意味」を、(たとえそるがズレてたとしても)信念として持って仕事している人は周りから必要とされる人物になっていくんだなと自分の中で結論付けました。























鶏口牛後


やっぱり小さい組織でも先頭に立って、雨風🍃🌀🍃なんかの試練を自分で乗り越えた方が人は成長できると思います。





…僕のキャリアではあんまり仕事に対して偉そうなことは言えませんけどね( ̄▽ ̄;)
























で。


あくまでこれは仕事の話。










でもそんなことを考えながらスーパーから帰っている途中に、ハッと気付いたんです。




「仕事だけじゃない。人生もだ…!」

と。






仕事という枠の中では「自分の意義」を見出すのは簡単です。


だって枠が決まってるから。







しかし人生となると話が別です。


仕事のように「ここから〜ここまで」という線引きはありません。




しかも仕事も含めた人生に起こる全ての出来事に対してであり、それに関する選択の責任も全て自分で負うことになります。




それに生まれてから死ぬまでという自分の全ての時間に関わることであるため、そんな膨大な枠組みの中で「自分が存在する意味」を見つけなくてはいけないんです💦








もしかしたら一流のスポーツ選手やハリウッドスターが輝いて見えるのは、その人たちが「自分がこの世に存在する意味」を見つけたからなのかもしれません。




まあ僕レベルではそんなたいそうな意味を持つ必要はないでしょうけど、輝く人たちとの差はその辺なのかもしれません。










これを発見したのは幸運でした!


人間は質問や問題なしには答えを導き出せませんから。






この問いを少しずつ考えて、自分なりの「意味」を見つけて生きていけるように頑張りたいですね💪



























毎日70人に見られるブログを書くのが「僕の意味」ではありませんから😄笑






そうは言っても、まだまだ書き続けていきますよ💃




それでは、またお会いできることを楽しみにしています✨