いつも遊びに来てくれてありがとうございます✨
このブログは、鶴間のPlace×Place(プレイスプレイス)というダンスホールのお知らせと、斉藤君のくだらない話を書いたりしています❗
人が輝く瞬間とはいったいいつか?
それは手を伸ばすとき。
人は手を伸ばしているときが最も美しい。
何かを掴もうと必死に手を伸ばし背伸びをしているとき、飛び散る汗すら輝いて見える。
ただただ努力をしてるのとは違う。
本気で夢を叶えようとする命懸けの努力にこそ、美しさが映るんだと思う。
ダイヤモンドの指輪を思い浮かべて下さい✨💍✨
買う前のショーケースの中では輝いて見えます。
それを手にした瞬間、それはきっとこの世で最も美しく見えることでしょう。
しかし、うれしいのは買った瞬間がピークです。
確かにしばらく大事に扱うことでしょう。
しかし徐々に徐々にそれが当たり前になってしまいます。
財力があればまた新しいものを買うことで喜びを取り戻すことができるでしょう。
しかし一般的にはそう易々とできることではありません。
日に日に強く感じてくるのは、重さとわずらわしさ。
何なら食事中や掃除中には邪魔だと思うようになってしまいます。
そうしていくうちに傷つけたり失くしたりするのを恐れて、しまいにはほとんどの時間をタンスの中で過ごすようになるでしょう。
例を変えてみましょう。
例えば洞窟探検をしていて、目の前にとても大きく立派な扉が現れたとしましょう。
期待に胸をふくらませて、その扉を両手で力いっぱい押し開けます。
そのときの興奮は一生忘れられないことでしょう。
そして隠された金銀財宝の山を見つけます。
これまでの道のりの苦労が全て吹き飛ぶような喜びの瞬間です。
そのときはきっとその場所を心ゆくまで堪能することでしょう。
しかし、誰もそんなところで生活したいとは思いません。
仮にその財宝を家に持ち帰って、家一面を金銀財宝で埋め尽くしたとしましょう。
初めのうちは自己肯定感も上がるでしょうが、次第に目がチカチカすることに耐えられず元に戻してしまうはずです。
常に無条件で輝いているのは「ギラギラ」という言葉がふさわしいように感じます。
そこには美しさを感じられないんです。
なので最初から美しい必要はないと思います。
努力によって手に入れた美しさの方が輝いて見えるものです。
ただの石ころが磨かれる中で、徐々に輝きを得ていく過程。
何もないところから生まれてくる輝きこそが一番美しいのではないか?
と思うわけです。
…つまり何が言いたいのか?
僕にもよく分かりませんが、少なくとも僕にも輝く可能性が残されているということですね😄
それでは鶴間で、またお会いできることを楽しみにしています✨