けんぴいダンス

社交ダンスホールPlace×Place(プレイスプレイス)in鶴間の紹介ブログ

怒るとか叱るとか

いつも見にきてくれてありがとうございます✨




このブログは、(ごく稀に)鶴間のPlace×Place(プレイスプレイス)のお知らせと、斉藤君のくだらない話や「その後」の話を書いたりしています❗







怒ることと叱ることが区別されていますよね。





怒ることは自分の感情に任せてしまうこと。

叱ることは相手のためを思って言うこと。







それはそうかもしれませんが、ちょっと美談にしているような感じがします。



「相手のことを思って」と言うことで正当化しているような…。




別に怒ることも叱ることも悪いことではないと思いますけど、自分を正当化しようとする態度が1番疑問ですね。






そもそも怒ると叱るの明確な区分はあるのでしょうか?



感情的になるとか?

相手を傷つけるとか?





それはもう怒る(叱る)側の問題ですよね。



例えば子どもがいけないことをしたとしても、感情にまかせて怒ってもいけないし、かといって放っておくのも間違いです。




まずはその人自身が人として育ってないと、怒るも叱るも線引きなんてないんじゃないかと思います。









ネット上でも「責任とれ!」とかそれこそ【無責任】に言ってる人がいますけど、その「責任」っていうのはあなたたちの感情やストレスの捌け口になることなのでしょうか?




そんな自分勝手な理由で針のむしろにする方が、何かしら起こしてしまった不祥事よりもよっぽど問題な気がしますね。



ハッキリ言って「あなたたちには関係ないじゃん」ってことでも炎上しますから。


なんで自分に関係ないことで被害者面できるのかも謎ですよね…。









どうやら人間は自分の価値観との矛盾や違いを認識すると、脳内の論理や理性をつかさどる部分の活動が低下するらしいです。


その代わり怒りや恐怖といった感情的な本能の部分が活性化するみたいです。







つまりその状態というのは指摘や説得ではなく、もはや自分の感情をぶつけたいor自分の優位性を証明したいという欲求を満たすための行為になってしまいます。








引き寄せの法則とか鏡の法則とかスピリチュアルな話は結構ありますが、実際そういう言葉ばかりを口にしていたら同じような人しか集まってきません。



逆に自分もそういう人たちの輪の中にしか入れません。





そうするとますます他者を蔑むような環境になっていき、どんどん豊かな心から遠ざかっていくような気がします…。






だいたいの人はもう大人なんだから、淡々と問題点を挙げて理由を説明すれば分かるんです。


(それでも更生する人とそうでない人はいますけど、もうそれは本人の問題ですよね。)







自分の抱えたストレスを感情にまかせてぶつけても何も変わらないし、むしろ色んな方面で悪化することの方が多いような気がします。






それより何より、1番いけないのはその人の人格を否定すること。



それは自分の怒りを制御できずに鬱憤を晴らしているだけです。




怒りは一時的にはストレス発散になりますが、少し経つとさらにムカムカしてきてしまいます。


その感情をコントロールできずに、他所で悪評を流すのはもってのほか。






一見、その意見には正当性があるかもしれませんが、その行為は自分の価値の低さを露呈しているにすぎません。












当然問題を起こした人が悪いわけですが、それを怒る(叱る)人はその人の何倍も高い目線で客観的な視点を持っていないとできないことですよね。




同じくらいなレベルの場合トラブルになったり、怒ってる側の評判さえも落ちてしまいますから。












感情的になると客観的な視点は失われてます。


本人は冷静のつもりでも周りからはそうは見えなかったりしますよね。









感情のコントロールは大事です。


でもそれは普段の生活から生まれてくる能力です。







普段から意識していないのに、その場でできるはずもありません。



人を怒る(叱る)ときは自分も成長するチャンスだと思って、自分の立ち振る舞いも見直したいものですね。






それでは、またお会いできることを楽しみにしています✨