いつも見にきてくれてありがとうございます✨
このブログは、(ごく稀に)鶴間のPlace×Place(プレイスプレイス)のお知らせと、斉藤君のくだらない話や「その後」の話を書いたりしています❗
今読んでる本がなかなか面白い本なんです。
まだ読み始めたばかりなので詳しい内容は分かりませんが、既に冒頭部分で僕が最近疑問に感じてた謎を的確についてきていて「ほぉ、なるほどぉ…。」と感嘆しました笑
ジャンルとしては脳科学になるんでしょうか?
久しぶりに良い本に出会いました✨
というのも、僕の周りでは赤ちゃんラッシュがきています。
で、僕は一人っ子だしペットも飼った経験がないので子どもや動物って苦手なんです。
嫌いなわけではないのですが、どう対応していいのか分からないんです😅
僕はブログを書くことを苦だとは思わないし、何ならダンスを踊ることより得意だと思ってます(笑)
なので人とコミュニケーション取るときは、基本的に言葉によるコミュニケーションになってるんですよね。
よく「話しやすい」とか言ってくれる人がいますが、それは相手の話(言葉)を聞いて、その上で言葉を選んでいるからです。
僕は恐らく感情の共有は苦手で、それを言葉による理解で補っている気がするんです。
なので赤ちゃんやペットなど言葉が通じないものに対しては、いつも「何を考えているんだろう…?」と思ってしまってうまくコミュニケーションができないんです💦
「わぁ〜❤️」とか「いないないばぁ!」とかできないんですよね。
僕としてはそんなことしても相手の意思を読み取ることができないので、無意味な行為に感じてしまうんです💧
人間は自分の理解の範囲を越えたものにおそれを抱きます。
感情で相手を理解できない僕にとっては、言葉が通じない相手はおそれを感じるものになってしまうんですね…。
どうやら相手の感情とリンクために使われる脳の部分は、扁桃体と呼ばれるらしいです。
前々から「どうにか扁桃体をトレーニングできないものか?」と思っていましたが、筋肉ならまだしも脳の一部だけを鍛えることなんて非現実的ですよね⤵️
なので扁桃体トレーニングは構想だけあって、実際は頓挫していました。
そんな中、この本です!
この本ではこの問題について別アングルから捉えていました。
僕は単に扁桃体という部分の機能が弱い人なんだと思っていたんです。
でもそうではなくて、「共感」という行為にも2種類あると言っていました。
「情緒的共感」と「認知的共感」
情緒的共感はあくびや笑顔がうつるように、反射的にマネしたり共感したりするものです。
一方、認知的共感は頭で理解しようとする共感みたいです。
しかし多様化した現代では、同じ日本人でも境遇が全く異なることが多いので限界があるということでした。
…まだここまでしか読んでません😅
もしかしたら本を読み進めていけば解決策やトレーニング方法が書かれているかもしれませんが、そういった区分があると分かったことだけでも大きな進歩です。
それさえ分かれば自分なりに試行錯誤しながらでも対応ができるので。
というか今までは「扁桃体を鍛えねば!」と思っていましたが、「情緒的」と「認知的」の2種類の共感があると分かれば、苦手な方を頑張って伸ばすのではなく得意な方で補うことも可能だと思うんです。
知るだけで選択肢が増えるわけですから、それだけで1歩前へ進める気がしますよね👍
といってもすぐに赤ちゃんやペットとのコミュニケーションに対する苦手を克服できるわけではないのですが、まあ苦手なところは苦手なままでも良いんじゃないかとも思いますね(*´ω`*)
もし自分に子どもができたらその子が成長していくように、僕の扁桃体や情緒的共感も一緒に成長させていけばいいんですから😄
僕とお父さんの関係が対等であるように、僕も自分の子どもに対して「教育してあげるべきもの」とか「守るべきもの」として見るのではなく、対等に、むしろ新しい発見をさせてくれる先生として接していきたいなと思います💡
まあ。
そんな日がくるのは、いつになることやら…😅
この気持ちを忘れないうちに、結婚できるといいですね!笑
それでは、またお会いできることを楽しみにしています✨