いつも遊びに来てくれてありがとうございます✨
このブログは、鶴間のPlace×Place(プレイスプレイス)というダンスホールのお知らせと、斉藤君のくだらない話を書いたりしています❗
僕の最近の興味は「死」についてだったりするんです。
生物学的な死の意味とか、哲学的な死の概念とか、色んな角度から「死」とは何なのか考えるようになってきました。
本やYouTubeの解説などでもそういう内容を見ることが増えてきましたね。
大学生のときにお父さんから「あっという間に30歳になるからな」と言われ続けてきましたが、内心薄々は分かっていながらも「そこまで大袈裟ではないだろう…」と受け流していました😅
もうまもなく30が近付いてくるとなると、あの言葉が度々思い出されます…。
30年があっという間だったように、ここからの30年間もより早く感じられると思うと残りの人生の時間、そしてその時間の質についても考えることが増えてきます。
今では人生100年時代と言われます。
それは医療が発達した現代だからこその話で、生物(哺乳類)としての本来の寿命とは異なります。
「人生50年…」
織田信長(?)はそう言いましたが、もし医療技術がないとしたら人間という生物の寿命はそれくらいだったのかもしれません。
元服(大人)が15歳から。
50歳で寿命。
僕は自分のことをまだまだ若いと考えていますが、そう考えると30歳というのは半分を過ぎて高齢と言えなくもないわけです。
僕だけではなく、それはお父さんも同じです。
そりゃあ僕が子ども時代のときのお父さんから比べると年を取った感じは否めませんが、お父さんの同世代と比べるとまだまだ若くバイタリティーもあるしエネルギッシュな人であることは確かです。
そんなお父さんも、体の中はやはり年を取っているようです。
先日、ほぼ持病のような臓器の手術を受けてきて全身麻酔を打ってきたようです…。
この前の日曜日、お父さんのスタジオのお手伝いに行ってきましたが、そのときに「全身麻酔とはいえ、手術されるというのは体に相当なダメージが残るものだなぁ…。」と言いながらも頑張って踊っていました💧
僕が死を意識するように、お父さんも死については考えているようです。
お父さんのお父さん(僕のおじいちゃん)の最期を通じて、いろいろ思うところがあったようで自分の今後の人生を考えているようです。
多分タイミングなんだろう。
そう思って僕は本を貸しました。
この前ブログに書いた『DIE WITH ZERO』という本です。
お父さんから本を借りたことは今まで1度もありません。
そして僕から貸したのは、今回が初めてです。
その本をお父さんが読むのか?
読んだとして何を思うのか?
ちょっと興味がありますね。
それはさておき、僕は何度か死を意識したことがあります。
初めては小学2年生の頃。
階段で足を踏み外して転げ落ちたとき。
大きな怪我にはなりませんでしたが、本当に心臓が破れてしまうのではないかと心配になるほどの心臓の動悸を感じて、「もしここで死んでいたら、僕が今感じているこの恐怖の感情はどこへいってしまうのだろう。」と思って、しばらくの間寝ることすら怖くなってしまったことがありました。
2回目は大学生の頃の医療ミス。
もしかしたら死んでいたかもしれないということを後から聞かされて、「もう一度命をもらったと思って生きていこう。」と思いましたね。
それとは別に、4回のバンジージャンプ。
バンジーの事故で死ぬことはないとは分かっていながらも、万が一を考えるようにしています。
飛ぶ前に必ず「ここで死んでも幸せだったと言えるだろうか?」と自問してから「幸せだった!」という結論を出してから毎回飛んでいます。
僕にとって、一種の儀式のようなものです。
この内容は今までにもブログに書いたことがありますね。
ただ、どうしても普通に生きていると、時間は無限にあるように感じてしまいます。
でも誰もが知っているように、命は有限です。
みんな等しく死を迎えるわけです。
そう考えると時間は無限ではないことに気付きます。
本当に死んでしまえば何もできなくなります。
現世に肉体も精神も残っていないのですから、何かしたくても物理的に不可能なのです。
しかしいくら年を取っても、肉体と精神がある限りはできることがあります。
僕が今からプロ野球選手になることは現実的に考えて不可能ですが、可能性は0%ではありません。
同じように、年を取って以前と同じように活発に活動して行きたい所へどこへでも行けるということはできなくなってくるかもしれませんが、全く何もできなくなるわけではありません。
肉体と精神がこの世に存在しているわけですから。
残りの人生を楽しむ術は必ずあります。
それを年齢を言い訳にして諦めるだけの人生は送りたくないんです。
変わろうとしなければ、行動しなければ、ずっと今のまま。
今のまま時間を浪費して、気付いたときには終わり時間が少なくなっていて、そのまま諦めるという人生は後悔しか残りません。
僕は今死んでも後悔しないと思って生きてきました。
しかしこの1年半ほど、僕は現状に甘んじて何も変化を起こしてこなかったんです。
今死んだら、この1年半の後悔は残るはずです。
その時間をやり直すことはできませんが、今からその分を含めて取り戻すことはできます。
やっぱり後悔なく、この世を離れていきたい。
そう思ったら、今を大事にしないといけないなと思うわけです。
終わりを考えるから、今の価値を実感できる。
そうやって生きていきたいと思ってるんです。
そういうことです。
それでは鶴間で、またお会いできることを楽しみにしています✨