けんぴいダンス

社交ダンスホールPlace×Place(プレイスプレイス)in鶴間の紹介ブログ

一歩



スポーツ選手がいつか引退するように。


アイドルがいつかマイクを置くように。






今まではそれがアイデンティティであり、それだけが取り柄であり全てであったのに、いつか必ず終わりがくる。





人間には老いがあり、死がある。




永遠と言葉はあっても、人間には永遠はない。







ずっとこのままということは有り得なくて、何にでもいつかは終わりがくる。



それは立場であっても仕事であっても命であっても同じこと…。











確かにそれを手放すと考えると寂しい気もしてしまう。



ただ、逆に言えば新しい世界へ進んでいけるということ。














1つのことを継続する強さは誰もが知ってるところ。






しかし今を手放して新しい1歩を踏み出すということもまた強さであるということ。





















みんな自分に関係ない世界に興味を持ちすぎてる。



芸能人が死んだり引退したとして寂しい気持ちは分かるものの、とやかく言う必要があるのか?

その行為に意味があるのか?











全て肯定しろというわけではない。

そんな必要もない。




ただ、そもそも全く価値観が違うくせしてとやかく言うものじゃない。










どうしてそんな決断をしたのか思いを巡らすだけに留めて、その先は応援してやればいい。


応援したくないのなら動向を監視してればいいし、それもしたくないなら放っておけばいい。








とやかく言って人の足止めをする時間があるなら、それを止めて自分が進めばいい。



今を手放して進むことができない、そんな勇気のない人間がこれから進もうと決めた人間を停めるなんておかしな話。










今を捨てることができない人間には、それを手放す勇気の重さを理解できない。







人は理解できないものに嫌悪感を示す。


だから批判する。









つまり責めるべきはまずそんな自分自身はず。





それが分かってる人はそもそも批判などしない。









分かってる人は終わりがやってくる前に始める。


終わってから考えていたのでは遅いから。







そこに気づいた人から変わっていく。

その程度の次元の批判など、とっくに自分の内で乗り越えてきている。




だから進む決心をつけられたはず。









何かを失う怖さや寂しさまで承知で前に進んだということ。


まずはその事実に目を向けないことには、何も語る資格などない。


















例えば、メジャーリーグで活躍できず2年で戻ってきた山口選手もしかり。



メジャーに行くことも日本に帰ってくることも勇気。



それを批判できる人は、自分に努力できない人だと思う。




























続ける勇気があるように、終わらせる勇気もあるということ。




始めるためには終わらせることも必要であるということ。








さて、その目には何が見える?



嫉妬か。覚悟か。それとも明日なのか。