ちょっとした昔話を…。
僕は両親がダンスの先生をしていながら、ダンスとは無縁な少年期を過ごしていました。
(今考えるともったいない話ですが😅)
しかもそれほど運動能力は受け継がなかったようで、大学のダンス部に入部した当時はセンスの無さ丸出しでした💧
今でこそ「少数精鋭…(笑)」なんて呼ばれる東海大学の社交ダンス部ですが、僕が入部したときは下から数えるような弱小ダンス部でした。
(といっても今の少数精鋭というのは、経験者が入部してきて結果を出すのに、部員人数が少なくて団体成績が悪いことを揶揄されてるだけなんですけど…💀)
で、入部当時の僕は、1つ上の先輩たちの練習を見ていて思ったんですよ。
「あんまり先輩たち、練習しないんだな。…あれ?ダンス歴も1年しか違わないわけだから、これってつまり先輩の2倍練習すれば追い越せるんじゃない?」
2倍練習したら、練習時間同じになりますよね😅
といっても当時からセンスの無さは自覚してましたから、実際はもう少し多く練習する必要がありました。
そんなこんなで頑張っていたら、2年生の夏に直接対決があって同じ準決勝の舞台で勝っちゃったんですよ!Σ(゚ロ゚;)
なんならその時に2つ上の4年生にも勝ってしまって…。
僕が頑張ったのか、先輩たちが頑張ってなかったのかは分かりません💦
でも、そうこうしてるうちに(東海大学の中では)僕は何十年ぶりかに夏の全国大会に出場できたり、冬の全国大会で決勝に入ったりしました。
弱小校から生まれた「東海大学の突然変異」だと自分のことを思っていました笑
僕の2つ下の子に身体能力の塊みたいな子も入ってきましたが、なかなか成績も出なかったので「この先しばらく僕みたいな子は出てこないだろう」と思っていました😄
…そしたら5年もしないうちに出てきました!!笑
1人は経験者(皆さんご存知の)守屋君ですね。
もう1人は守屋君の同級生の松岡君です。
その2年後には、これまたご存知の倉科君が冬の全国大会で優勝しました。
松岡君はラテンで夏の全国大会(4種目総合)を優勝してますし、今年プロ財団B級で全種目1位で優勝しています💦
まさか僕の後輩にこんな活躍する人が現れるとは…Σ(゚д゚;)
松岡君に関しては僕のお父さんのところを手伝ってくれていたこともあり、お父さんがえらく気に入っています!
お父さんは色んな(意味不明な?)ポスターを店先に貼ってることで有名ですが、そのうちの1枚には僕と松岡君と倉科君の学生時代のダンス写真が貼ってあります。
(それに本間君のことも気に入ってるのでポスター貼ってありますね…💧)
松岡君は高校まで空手をやっていたらしく、ラテンの決めポーズのときの表情がまさにオリンピックの空手を思い出させるような迫力があります。
彼のラテンは良い意味でダンスというより空手に近いのかもしれません。
後輩でありながらそんな松岡君を僕は尊敬していますが、ダンスに賭けるその姿勢に何やら言葉にしづらいものの感じるところがあるんです。
ダンスは本来、観客やジャッジにアピールするものです。
そのため「見ている誰か」を想定して踊ることが多いと思います。
しかし松岡君は、(僕から見る限り)少し違うような感覚がするんですよね。
彼は「見ている誰か」に踊っているのではないような…。
語弊を恐れず言うのなら、「見えない仮想敵」がいるようなんです。
それはまさしく空手に近いですよね。
でも。
それもちょっと違って、正解ではない気もします。
「見えない仮想敵」というより、目の前に立ってる自分自身の虚像と闘っているようなそんな感覚。
よく「1番のライバルは自分」と言われますけど、それのもう一段上の感じというんでしょうか…?
目付きが違うんですよ。
同じような、それでいてもっと上の次元の目も見たことある気がする…。
と思ったら、思い浮かんできたのは小嶋みなと君の目でした。
その目には、対峙する「仮想敵とも言える自分自身」がハッキリ見えていて、それに負けないように・それを越えようとするように全身全霊をかけているような…。
僕の目とは明らかに違うんです。
言うなれば、僕は広く捉えて危険を避ける草食動物の目。
彼らは目標を必ず掴み取るという確信に満ちた肉食動物の目。
どちらかに善し悪しをつける問題ではないとは思いますが、大学時代先輩たちを越えようとしていた自分・2年間今にも壊れそうなダンス部を引っ張ってきた自分は確かに肉食動物のような血にたぎった目をしていたような気がします。
それは丸くなることで失ったものですね。
確かに、広い視野を持って危険を避ければ不幸になることはないでしょう。
しかし獲物に集中しすぎるあまり視野が狭くなるというリスクを負わなければ、幸せにはなれないのかもしれません。
正直言うと僕は社会人になってから本を何十冊何百冊と読みながら、丁寧にキバを抜いてきたんです。
他人と争うことに意味もメリットもないですから。
でも若干ズレていたようです。
キバは争うために使うものではなく、獲物をとらえて自分の生命を維持していくために使うものでした。
どんなに強い動物でもたべなければ生きていけません。
キバを抜いたら自分が死んでしまう。
つまり自分として生きるためにこそ、鋭いキバが必要だったんです。
みなと君は同い年。
松岡君は5つも下。
正直年齢とか関係なく、一生懸命生きてる人からは多くを教わります。
もう一度キバを生やして、爪を研いで、新しい自分に生まれ変わらないといけませんね。
何だか目を褒められることの多い僕ですが、僕自身がカッコいいと思うのは彼らのような鋭く強い目です。
いつしか自分もそう褒められるようになりたいものですね💡