けんぴいダンス

社交ダンスホールPlace×Place(プレイスプレイス)in鶴間の紹介ブログ

特別

いつも見にきてくれてありがとうございます✨



このブログは、もはや斉藤くんのくだらない話や「その後」の話を書いたりしています❗









ちょっと待っててくださいね💧




今まさに伝えたいこの気持ちを勢い余って記事にしたのですが、その前に2つ記事を書いてからじゃないと公開できないような気がして、それを書くまで更新はまだ保留です💦








それにちょっと関連しちゃってるので多少フライングしてしまうのですが、人類の英智ってとてつもないものだなって思いました。



動物の中では鳴き声によって感情や危険を仲間に伝達できるものもいます。



頭がいい動物の代表格であるカラスには確か30種類くらいの言葉があることが確認されているんだとか。




しかし人間はもっと複雑な音を作り出し、あらゆる事柄を言葉として伝える術を開発しました。



しかもこの世界には1つというわけではなく、無数の言語があります。


失われてしまったものまで含めると相当な数になると思います。






もし言語が1つしかなければ突出した1人の天才(もしくは1つの集団)がいただけかもしれません。


しかし数十もの言語があるということは、どれだけ人間種というものの知能が優れているのかの証明になるような気がします。











でも、今回の本題はここから。


音を使って気持ちを伝えることは他の動物でもしています。






しかし。



音が聞こえない者のための思いの伝達手段。


つまりは、人間には手話があります。





ここではあえて言語と言いましょう。









声や音を出すということは当たり前のことであり簡単なことです。


それらを生存のための道具とすることは必然でしょう。






逆に自然界では声を出せない、音が聞こえない個体は危険を察知したり伝達できずに淘汰されていきます。


それが地球で生きることを余儀なくされた生物のあり方なのだと思います。







そんな環境で本来、弱者であるもののための言語を人間は作ったのです。






そんな生物、人間を除いているでしょうか?



音を使わない言語というものを人間以外の種族が行えるでしょうか?








音が聞こえない、声が出せない人のために開発された手話という言語は素直に凄いんだと気付きました。





僕たちは当たり前のように音を聞き、声を出します。







しかし、それができなかったら?




もし音がない世界が当たり前だったら?











何の変哲もないつまらない人生だと、未来に希望を持てない社会だと、そんなふうに嘆く前にその当たり前を疑うといい。





きっとそれは当たり前でも何でもなくて、本当は特別なこと。







同じ出来事でもどう捉えるかによって人生の色は大きく変わっていく。







この人生において当たり前を1つ見つける毎に色は失われていき、当たり前だと思うことをゼロに近付けていけばいくほど人生は彩やかになっていくような気がしました。





当たり前という概念の排除。









これこそが運を引き寄せる秘訣であり、人生を幸せに生きるための唯一の方法なのではないかと思いました。









周りを見渡してみてください。





この歳になって楽しく体を動かせるどれだけいますか?

嫌なことも忘れ、素敵な音楽を聞いて、それに合わせて踊れているんですよ?





それはもう既に特別なこと。










その特別をかみしめて生きていくことが幸せなんじゃないかと思います。




皆さんも1つずつ「当たり前」を捨てて、「特別」な世界で生きてみてはどうでしょう?








それでは、またお会いできることを楽しみにしています✨