けんぴいダンス

社交ダンスホールPlace×Place(プレイスプレイス)in鶴間の紹介ブログ

〇超善人

 

 

超・善人になるというのはどうだろう?

 

 

 

 

 

 

ずっと内向的な人間として育った僕としては、明るく社交的で外交的な人たちに憧れを抱いて生きてきた。

 

 

 

しかしテンションを上げようとしても恥ずかしさからくるものなのかリミッターがかかって明るくなれない。

 

 

小学校の頃から「いい子」でいようとしたせいか、穏やかで丁寧で「いい人」を演じてきた。

 

 

いつの間にやら演じてたはずの自分が本物の自分にすり変わっていくような感覚さえあった。

 

 

今は「いい人」でいることに、自分らしくないと感じることもなければ、抵抗感を感じることもない。

 

 

むしろそうしている方が楽で心地いいまであることに気づいた。

 

 

 

 

 

それでもなお、テレビに出てる人のように面白いことを言って笑わせたり、周りを盛り上げられる人になりたいという欲求は無くならない。

 

 

 

 

 

 

しかしよくよく考えてみると、テレビに出る人全てが面白い人ばかりではないし、底抜けに明るい人ばかりでもない。

 

 

それぞれ個性を活かして活躍しているんだと思った。

 

 

 

 

 

 

それなら心の中で「無理」だと思っている、明るい人になろうと葛藤する必要もないのではないかと。

 

 

それでもやっぱり憧れはあるけど、そうやって心を疲弊させるくらいなら無理などする必要もない。

 

 

 

 

ヘコヘコと穏やかで無害な人物でいることが得意なのだとしたら、それを突き詰めてみたらいいんじゃないか?

 

 

知り合い相手だけではなく、街中に歩く無関係な人にも、そして家族にも。

 

 

 

 

無関係な人に丁寧に接する必要もないし、逆に心無い態度で傷つくこともあるかもしれない。

 

それでも博愛の精神というか、知り合いと同じように接する。

 

 

 

 

個人的には家族・親戚に対してそういう姿勢で接することの方が難易度が高いけど、いい人として接してみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いい人」というのは、別に心の底からそうなろうと気負う必要もない。

 

 

ゴマすり、偽善者、裏がありそうと思われたって構わない。

 

 

あくまで自己満足で、他者からの評価は後からついてくる。

 

 

 

 

 

 

自分がなりきるのに1番楽な人格である「いい人」。

 

 

 

それを中途半端で終わらせずに、とことん極めてみて「超・善人」というキャラになれば、無理に外交的にならずとも世界は変わってきそうな気がする。