けんぴいダンス

社交ダンスホールPlace×Place(プレイスプレイス)in鶴間の紹介ブログ

普通

 

仮にもPPのお店を運営していた経験から言うと、組織として欲しい人材は割と普通の人なんだと思うんです。

普通に遅刻しないで、普通に求められる仕事の成果出して、普通に対人関係を良好にこなせる人。

別に突出して良くなくていいんで、平均的な能力でそつなくこなしてくれる人が1番必要な人材だと思うんですよね。

 

1つに特化した能力を持ってたり、天才肌みたいな人の能力はもちろん魅力的ですが、それは多くの普通の人達のおかげで成り立った組織の土台が磐石だからこそ活きるものだと思います。

仕事できてもコミュニケーション取れなくて雰囲気ぶち壊してもダメだし、コミュニケーション能力高くて上司には気に入られるのに仕事できない人は周りから妬まれて結局ギスギスした環境になりますよね。

 

例えば初期のPPのようにリボンを入れるお店である場合、リボンは能力や個性が突出してなくてもいいから減点されないような普通の人の方が好まれるわけです。

一方チャーターなんかは、マイナスに目をつぶってでもプラスの要素にファンが付くので、突出した個性持ちはチャーターの方がいいわけです。(突出した個性というのは踊り方やキャラクター、コミュニケーション能力など色々な基準が混在しますが。)

とはいえ、その方が力を発揮できる人もいるので、どっちがいいというわけでもなく一長一短ですね。

 

しかし組織という枠組みにおいて、トップが求める人材はあくまで普通の人ではないかと個人的には思うわけです。

 

 

 

僕も少し前には「何者かになりたい」と語ってましたが、今はYouTubeSNSの発達により一億総発信時代なんて言われたりもします。

そうなってくると人の注目を集めるためには個性が必要になってきます。

僕も随分そっちに引っ張られていたわけですね。

 

 

個性だの、多様性だの、マイノリティだの。

個性を大事にするという考え方には賛成であるもののいきすぎるとおかしなことになるのは当然のことです。

僕としては何となくもう既におかしなことになり始めてるような気もしますけどね。

 

一億総中流なんて言われた時代は人と違うとつまはじきにされるような風潮があったような無かったような(そんな時代には生まれてなかったような)気がします。

でも今では人と違うことが評価の対象(個人的には評価というよりも優越感を感じられるくらいの感覚)になってるように思えます。

 

LGBTやらヴィーガンやらフェミニストやら、その活動自体には何の文句もありませんが、希少性を盾にして自分の権利ばかり主張したり、人に噛み付いてマウント取ってる一部の根性腐った態度なんかは気持ち悪いですね。

 

そういうのも相まって、個性を重視しすぎる世の中に少しずつ歪みが出始めてる気がしないでもないわけです。

 

そんな空気をうっすら感じ始めた中で普通の人の重要性に気づいてしまうと、「もしかしてこれからは普通に原点回帰した方が時代を先取れるのではないか?」なんて思ったりもしてますね。

 

 

そうとは言えど、世間一般の「普通」に歪みが生じてるとすればそこに合わせることは危険です。

結局は世の中に迎合せずに、自分の中での普通を基準に生活していくことが大切なんだと思います。

自分の中の正しさとか倫理観といったものを含めた上でね。

 

一見すると結局それが個性のように感じますけど、ニュアンスとしてはちょっと違うんですね。

世の中で良しとされてるものを目指していくのではなく、自分の中で良いと思った方向に進んでいくわけです。

 

下手すると世間一般で良しとされてるものを、自分で良いと感じてしまっている人も多い気がします。

多くの人が良いと言ったからといって自分にとっても完全に良いなんてことは多分無いです。

 

自分を見失った個性なんか個性じゃないんでね。

自分の気持ちや理想を大切にして自分に正直にいたいところです。