なるほど、気づいてしまった。
世の中の善悪や優劣ではなく、自分自身を大事にしているかどうかを基準にして人を見ればいいのか。
ここで言う自分自身というものの中には、自分の大事にする家族友人や場所やモノの含まれるんだろうね。
だいたい不快に感じさせてくる人はポイ捨てしたり歩きタバコしたり騒いでいたりするけど、それはルールを破ってるからそれを見てイライラしていたんだ。
でも基準を自分を大事にしているかにした場合、そういう行為をしてしまう人格でいられる自分を持っていることで、自分の大事な人の評価を下げたり心を傷つけたりする。
例として窃盗はもちろん悪なんだけど、それにより世界最高峰の友人を裏切ったり、もう報道すらされなくなった綺麗な奥さんを傷つけたことが一番やっちゃいけないことだったと見るべきなんだろうと。
類は友を呼ぶって言葉があるけど、僕のチャーターに入ってくれる人たちのことを僕はマイペースなんだと思ってた。
みんなと仲良くするような穏やかな人たちだったから。
でもマイペースなんじゃなくて、自分で自分を大切にできる人だから心にゆとりがあって、他者にも穏やかに接することができる人が多いって話じゃないのかと思った。
やっぱり自分で自分を責める人って、どうしても他者からもそう扱われやすい。
自分を大切に人だからこそ、僕もそういう人を大切にしたいと思えるんだなって。
例えばみんなが僕を大切にしてくれたとして、僕自身が自分を傷つけてたら嫌じゃんね?
いくらしてあげても満足しない偏屈なやつだと思うし、優しくしてあげてること自体バカバカしくなってくるはず。
だからこれからは僕が尊敬すべき人は「自分を大切にしている人」。
そういう人を尊敬して目指して、そして大切にしていくこと。
そうすれば自分のことももっと大切に思えるだろうし、世の中もっと生きやすい世界に変わっていくだろうね。