もしかして逆だった?
疲れないよう、疲れないよう生きようとしてた。
ほとんど声も出さないし、なんなら趣味読書だし…。
でも1日の終わりに疲れきって全てのエネルギーを出し切った方が、次の日また元気に生きられるかってことない…?
体内のエネルギーも生物(なまもの)と同じで腐っていくんじゃない?
「明日のために」って中途半端に体力残すから腐ったエネルギーが残っていって、新しいフレッシュなエネルギーに入れ換わらない。
前の日の不純なエネルギーが残り続けるから純度の低い賞味期限切れの活力しか出ないみたいな…。
だから1日の終わりまでに、全てのエネルギー消耗し切ればぐっすり眠れるし、体力がカラになっていれば全て新しいエネルギーに入れ換えられるんじゃない?
だからやっぱり食べるってことも大事になってくるよね。
食事っていうのはエネルギー補給の一面もあるけど、食べるっていうのは体力も使う。
消化にエネルギー使って内臓のエネルギーまで消費しきることができる。
寝る前に「今日は全部出し切った!」と言えるほどヘトヘトになる必要があるかもしれない。
全部出し切って後悔のない1日を送ることができたから、明日にも期待ができて寝ることができる。
もしかしたら、それが唯一「生」を実感できる行為であり、人間というかむしろ生物としてのあるべき姿なのかもしれない。
だから家に帰ってきて「そんなに疲れてないかも?」って感じたら、筋トレだのランニングだのした方がいいよね。
全ては明日を元気に生きるために。