けんぴいダンス

社交ダンスホールPlace×Place(プレイスプレイス)in鶴間の紹介ブログ

鬼は滅ぼすべき対象なのか?

いつも遊びに来てくれてありがとうございます✨




このブログは、鶴間のPlace×Place(プレイスプレイス)というダンスホールのお知らせと、斉藤君のくだらない話を書いたりしています❗






昨日「鬼滅の刃」見てきたわけですが、ちょっと不完全燃焼感が否めないんですよ💧


確かにうるっとくるシーンは何度かあったんですけど、実際に涙までは出なかったんですよね😢


泣けると聞いたもんだからもうその心づもりで行ったわけですが、もうこれは完全にキャラクターや人間関係を知らなくて、すんなり感情移入できなかったせいです💦




そこだけ心残りですね😱






なので帰ってからネットでキャラクターの情報を検索しました!

(今さら…💧)





ネタバレを含むキャラクターの紹介ページを見ていけば、作品全体の流れが分かりますね。



主人公サイド、敵役サイドの主要キャラを調べてました。



そうするとなんとなく分かった気がしたんです。



なんで鬼滅の刃が人気なのか?









僕はこれまで10~30代前半くらいの比較的若い世代にウケてるものだと思ってましたから、激しい戦闘シーンとかパッと見て分かりやすいところが人気の秘密だろうと勝手に想像していたんです😅




でもキャラクターを調べていると、ずいぶん悲惨な状況や醜い描写が多いんだなぁと知りました。



といっても、血がブシャー!とかそういう描写ではなく、人間の生い立ちや境遇について同情できたり悲しくなるような過去が多いんですね。



しかも味方キャラだけではなく、敵キャラまで。




あぁ。実際いそうだよな、そんな人。

そんな過去持ってるからこういうキャラなんだ。




と出てくるキャラクターがみんな良くも悪くも人間くさいんです。




だからキャラクターに与えられた設定というよりも、本当にそういう人いたんじゃないか?と思える感じがしました。



そういう人間模様が人気の秘密だと僕は思いましたね❗





鬼滅の刃」というくらいですからもちろん敵は鬼なのですが、欲望や怒りなど色んな感情を持っていてなんなら鬼の方が人間くさい。


主人公サイドも鬼に大切な人を殺されて悲しみや憎しみを抱えている。




なので鬼と戦っているというよりは、そういった人の心と闘っているという側面が強いかもしれません。




鬼はもちろん人を食べるし、味方キャラも倒していく悪者として描かれています。

それでも同情できる過去があったりして、醜さの中に人間らしい光があったりするんです。



逆に味方側にもその正義の光は、過去の苦しみや悲しみからきていたりして、感情の明暗が描かれているような気がしました。









と、知ったようなこと書きましたが僕は実際に作品を見たり読んだりしてません❗笑


これもまとめサイトの内容を見て思ったことですしσ( ̄∇ ̄;)



にわかどころか、なんちゃってにわかなので参考にはしないで下さい😅
















それで、思ったんですよ。


人間らしさとか人間の魅力って、醜い部分があるからより強く見えるんじゃないかって。





僕は臭いものには蓋をして、醜いものから目を反らしてきて生きてきました。


そうしないと心が汚れるから。



正の方向へ浄化することが人生の理想だと思って、負のものを自分の環境から排除してきました。




でもそうじゃなくていいんだって。



正もあるし負もある。

それが人間らしさだし、それがより魅力を引き立てるのかもしれないと思いました。



よく考えたら人間である以上、生物である以上、負の感情を消すことなんてできないはずなんです。





なのに僕は「負」というものを排除したり避けたりしていました。


だからズルいことする人やルールを守れない人を見ると感情を逆なでられる感覚があったりもしました。





頭が悪いからこそ醜さをさらせる人への嫉妬。

頭が良いからこそ醜さを一切見せない人への嫉妬。



結局はそれが劣等感という負を強めることとなり、その感情を排除しようと躍起になってストレスをためる。

本末転倒。







自分の負の部分。


これまで僕は、不器用な部分をかわいげに変換してみたり、毒にしろずいぶん言葉を選んでマイルドにしてました。


負を消そう消そうとしていたんです。






負の感情の排除。


だから僕はどこか薄っぺらかったのかもしれません。




負があってもいいんです。


むしろ負がないとダメなのかもしれません。




よく「あの人には裏がある」なんて言いますけど、裏があるってことは厚みがあるってことです。


人間としての幅もあるかもしれません。


そういう人の方がどこか魅力的だったりしませんか?







僕は本を読んだり考えたりして、自分を「形作る」ことばかり考えていました。


でも形なんて何だっていいって思ったんです。

人それぞれ形が違って当たり前です。



それをよりキレイに、より理想的にと頑張っちゃってたんですね。




大事なのは形よりも色かもしれません。




ただ、何もキレイな色だけを使う必要もありません。


キレイな一面もあれば、真っ黒だったりくすんで汚ならしい色もあっていい。




どんな色でもたくさんあった方がいい。

そしてやるべきなのは、その色をどんどん濃くしていくこと。


そうした方が深みのある人間になれると思うんです。







だから人間の醜い部分を愛すること。


自分の中のも、他人の中のも。


醜いものは、より醜くく。

汚いものは、より汚く。






一度キャンバスにのせた色は二度と消えません。


薄めて消すのではなく、より濃くしていく。





僕ももっとズルく、汚くあっていいんです。


そう思うと少し救われる。













でもさぁ。


僕は「鬼滅の刃」見て、こんなことまで考えてるわけですよ?


1日の内、それなりの時間を毎日こんな思考実験に費やしているんですよ?






この思考実験を狡猾さとかに全振りしたら、もうどうなっちゃうの?

めちゃくちゃヤベェ奴💀になっちゃいますよ!笑






まあそんなことしてる暇もないし、する気もないですけど😅









僕は聖人にはならない。


僕は人間になると決めました。






「早く人間になりたい💡」


















あ。

これは鬼ではなく、妖怪の方か…。






お後もよろしくないようで(о´∀`о)




それでは鶴間で、またお会いできることを楽しみにしています✨