練習とは…?
練習とは何をすることでしょうか?
コツコツ積み重ねること。
「そう思ってる時期が僕にもありました。」
(いやコレ言いたかっただけで、今の今までそう思っていました😅)
練習とか勉強って、反復して覚えることだと思っていました。
でも思ったことがあります。
えぇ。またまたお得意の持論コーナーです!
少し前に、ピアノとボイスパーカッションだけで演奏するYouTubeを紹介したと思います。
そのときはボイスパーカッションの動画にハマって、結構見てました。
そうしていると面白いワードが出てきたんです。
「音を探す」
つまり、その音をどうやって口から出すか練習することですね。
唇の形はどうか?
舌の位置はどこか?
などなど、どういう口にすればその音が出るのか探っているから「音を探す」って言ったんでしょうね。
その音を出すための「練習をする」ではなく、「音を探す」という言葉を使っていました。
そのときは、ふーん。くらいだったのですが、シグナル聞こえてきましたよ⚠️
※シグナルとは、多方面から似た情報が同時期に集まってくることです。(僕が勝手に言ってるだけ😅)
最近、バーテンダーについての本を読みました。
バーテンダーが主役の漫画も買いました。
同級生からも軽く聞いたことがあるんですが、バーテンダーっていうのは高等技術です。
氷の大きさ(量?形?)、混ぜ方、温度などなど、ちょっとした条件でお酒の味が変わってしまうそうなんです。
だからこそ難しい世界なんです。
でもだからこそ、その人だけの味も作れるわけです。
それは何度も何度も繰り返し作る中で見つけていくものなのでしょう。
さて話は変わって、先日。
1週間のうちに、2回レッスンを受けに行きました。
(あ、これもちろんダンスの話ですよ💧)
その次の日チャーターで踊る中で、先生から言われたことを試してみていました。
するとそのとき、見たことない感覚に襲われました!
「足を使う」ってことが大切なのは重々承知です。
でもチャーター中に、「足ってそんな使い方ができたんだ!」という発見がありました!
レッスンでは、別にその使い方を習ってたわけではありません。
教わったことを練習してたら、たまたま新しい世界に気付いてしまったんです。
ダンスにはまだまだ僕の知らない未知の領域があり、奥行を見つけてしまったんです!
実際のところ、その技術が正しいかどうか分かりません。
でも、問題はそこではありません。
自分で発見したということに価値があるんです。
ボイスパーカッションも音を見つける
バーテンダーも味や、振ったり混ぜたりするタイミングを見つける。
確かにそれは長年の経験が基となって見つかることが多いですから、コツコツ積み重ねるということは必要だと思っています。
しかし僕は「練習とは発見すること」だと思ったんです。
ニュートンはりんご🍎が木から落ちる様子から引力を発見しました。
…すごいですね💧
もし今の小学生がりんごから引力を発見しても、学術的に価値はありません。
だってもうみんな知ってるから。
でも、その子にとって初めて自分で発見したこと自体に価値があると思いませんか?
多分その子には衝撃が走り、全身の毛が逆立つことでしょう。
そして楽しくて嬉しくてしょうがないと思います。
それこそが練習・勉強の楽しみじゃないでしょうか?
すでにある知識をコツコツ積み重ねて身につけていくことが練習なのではなく、自分で新しいものを発見すること。
多分それはこの世で最も至高の体験だと僕は思うんです。
ダンスも習ったことをただ繰り返して身につけたところで「やったー。うまくなったー。」くらいだと思うんです。
でも自分で可能性を見つけてしまったら、「っふっ!はあっ!」って衝撃で一瞬呼吸が乱れるほどの快感を味わうことができると思います。
少なくとも僕はそうです。
特に本を読んだり、ブログを書いてると新しい自分に遭遇できます。
マジでカフェの中、僕だけ時間が止まったこと何度かありますよ…💧
(端から見たら、いきなり天をあおいで固まってる変人でしょうけど😅)
まあ、僕のことは置いといて…。
練習は繰り返すことではなく、発見すること。
そういうふうに定義したら、ダンスでも何でも見える景色が変わってくる気がしませんか?
少なくとも僕はそれだけで大きく救われます。
理論的に繰り返して目には見えない上達をしていくよりも、自分なりの価値観・表現を発見できることの方がよっぽど楽しいですよ❗
発見した瞬間もドーパミンがドバドバになりますし、それが間違っていても「違ったかー!」って言って再度仮説を立てるときワクワクしません?
(え、しない?そ、そんなことないよね…⤵️⤵️)
探求というのが僕には合ってるのかもしれません。
あ。
もう言うこと無くなった!笑
ネタ切れしたので、閉店ガラガラm(__)m