いつも遊びに来てくれてありがとうございます✨
このブログは、鶴間のPlace×Place(プレイスプレイス)というダンスホールのお知らせと、斉藤君のくだらない話を書いたりしています❗
僕は小学生の頃、東京から宮城に引っ越した際に大きく性格が変わってしまいました。
田舎の子どもにとって、都会から来た子は珍しくてしょうがなかったのでしょう。
そういうふうにいきなり注目を集めるものだから、なるべく目立たないように…と考えるようになるのも自然の流れだったのかもしれません。
そうやって小中高校とそのまま過ごし、大学に入ってもそういう性格で過ごしていました。
しかし大学生の頃、突然僕の人生にルネサンスが起こります!Σ(゜Д゜)
原点回帰。
忘れていた幼い頃の性格が、ダンス部に入ったことによって徐々に開花されていきました。
(内弁慶なので大学の部活内限定でしたが💧)
大学生のダンス部内では、僕は思いつきで周りを振り回す自由で勝手な奴みたいなポジションになりました。
とはいえ、やるときはやる奴と思われていたようで呆れられながらも一応信頼はあったようです😅
まあ簡単に言うと、このブログの人格が思うまま行動していたわけです。
そう思うとちょっと心配になるでしょう?💦
おそらくこのブログの原型は大学時代の僕なんです。
そんなちょいと危ない人物だったから、僕は当時から「自分語」というものを使っていました。
自分語とは自分で作り出した、自分にしか分からない自分のための言葉です。
…?
その中でも一番頻度が高く、今でも使う言葉があります。
それは。
「目が見える」
です!
これは人の能力の高さを表す言葉です。
文字通りの、視力という意味ではありませんよ💧
…そんなことなら視力が弱い僕が使うわけがない。
「目が見える」というのは2種類あります。
まず周りがちゃんと見える能力。
状況把握能力だったり洞察力だったり。
分かりやすく言うと、お客さんが50人来ている中で踊りながら、他のアテンダントの動きや態度、フロアで人にぶつからないようにすること、お客さんがつまらなそうにしていないかの表情、今自分はしっかり踊っているのか、空調の温度、お茶やコーヒーの残量、その上で口頭で言われた予約を覚えていられるか、などなど。
要は周りに気遣いできるか、いろんなことに注意を向けてちゃんと気付けるかという力のことですね。
(僕は鶴間のお店始めて、こんなにも色々と毎日考えて踊ってたものだから脳のキャパシティが限界突破して、多分ちょっと頭良くなりましたよ!笑)
もう1つは先を見る能力。
今を短絡的に生きるのは楽だし、手っ取り早くて苦労のない生き方です。
ただ将来的にも同じことができるのか?
今すがっているものがなくなったとき、自分という存在に自信を持っていられるのか?
簡単に言うと先見の明。
先を見据えて行動できる能力のことです。
周りが見れて、先も見える。
これが僕が人を見る際に基準としている「目が見える」ということです。
…ふう。
前置きが長くなってしまった💧
この前提を話しておかないと、意味が通じなくなっちゃうのでね💦
というか、結構書いたね。
これで1記事でもいいよね(´Д`|||)
こっから本題に入っても、なんかオマケみたいになっちゃうし😅
というわけで、後半へ続く❗
それでは鶴間で、またお会いできることを楽しみにしています✨