けんぴいダンス

社交ダンスホールPlace×Place(プレイスプレイス)in鶴間の紹介ブログ

命の重さ

いつも遊びに来てくれてありがとうございます✨




このブログは、鶴間のPlace×Place(プレイスプレイス)というダンスホールのお知らせと、斉藤君のくだらない話を書いたりしています❗






さて、皆さんは命について考えたことはありますか?


もし人間に魂というものがあるのであれば、死んだ後はその魂はどこへ行くのか?


そもそも魂なんて存在するのか?







小学生の頃は、そんなこと考えて怖くて眠れなくなったときがあったなぁ😅











それはそうと、こんな面白い説を聞いたことはありますか?


















「人間の魂の重さは21グラム」


















なんと、

魂には重さがある!

というのです((((;゜Д゜)))







昔の医者が、寝たきりで亡くなりそうな患者を重さが測れるベッドに寝かせて記録を取っていたようです。




すると多少の誤差はあれど、命が尽きたと同時にほとんどの人の重さが軽くなったというのです❗







「1円玉20枚分以上が軽くなるなんてさすがにおかしいのでは?」

それを計測した人もちゃんとした医者ですから、汗や呼吸による水分の蒸発も考慮したようですが、それにしても亡くなったと同時に軽くなるのは魂に重さがあるとしか考えられないと思ったようです。





もっと多く重さが減った人もいましたが、この研究から「魂の重さは21グラム」説が出てきたようです。






























ところで。



その話とは関係ありませんが、「臓器くじ」問題というものを聞いたことがありますか?



無差別に選ばれた健康体の人間を1人殺して、ドナーを必要としている5人の命を救うことは正しいのかどうか?という問題です。





自分も殺される可能性もあるわけですし、普通に考えたら「ダメだろ!」って思いますよね💧








ただ、前提が「殺されるのは無差別殺人を冒した死刑囚から選ばれます。」となったらどうでしょう?


もしくは、「助けられる5人はそれぞれ医者・大学教授・ノーベル賞候補者・芸術家・スポーツ選手です。」という前提を与えられたら?







最初は「たとえ1人だとしても、健康な人を殺すのはれっきとした殺人だ!」と思っていたとしても、こういう前提を与えられたときに同じように答えられるかどうかは難しいですよね…。




似たような問題に「トロッコ問題」もありますね。








あなたは線路の前に立っていて、その線路は二股に分かれています。



一方の道には1人の作業員が作業をしています。

もう一方の道には5人の作業員がいます。




列車が迫っていますが、あなたの前には線路のレールを切り替えることができるレバーがあります。








…どちらを助けますか?


















1人の命と5人の命の重さは同じなのか?



また、その人が世の中にもたらす影響力によって命の価値は変わるのか?




そういうことを考えさせられる問題ですね。




しかしそんなの正解なんてないんですから、答えなんて出せませんよね。





















でも。





















人類はこの問題の答えを出さないといけない時期に入ってきているんですって💦





AI(人工知能)が発達し、科学が進歩してきてしまっているから…。
















もし、車の自動運転ができるようになったら?









追突防止機能を付けますよね?


でもそれは人間があらかじめプログラムしているわけです。

その通りに車(AI)は動いていくんです。









例えば、自分が自動運転の車に乗っていたとします。



すると、いきなり目の前に信号無視で飛び出してきた歩行者が現れました💦


しかし今からブレーキをかけても間に合いません。






















選択は2つ。



















1. 信号無視の歩行者を殺す。

2. 歩行者を避けて、電柱に激突し自分が死ぬ。









歩行者にぶつからない車というのは一見安全性が高い車に思えますが、そのせいで乗ってる自分を守ってくれない車なんて怖くて乗れませんよね💧






結局、その車にどういうプログラムがされてるかによって生死が決まってしまいますし、それをプログラムするのは人間です。




つまり「臓器くじ問題」や「トロッコ問題」は妄想の話ではなく近い未来の話であり、もう人類はその選択を迫られているのです。



















命の選択って、理性と本能の間で揺れ動くものですから難しいですよね。













































ちなみに。






前にもブログに書いたように、僕の周りではベビーラッシュです。



みんな子どもが生まれてきたり、これから生まれてくる時期です。











そうなると考え方も変わってくるのかな…?















僕は医療ミスで死にかけたことがあって、体に余計なメスを入れられたことがあります。


それを経験しているので、もう二度と体にメスを入れたくないと思っています。





























でも、どうでしょう?




自分の子どもが例えば腎不全とかになったら…。



腎臓は2つありますから、1つあげても大丈夫です。














しかし自分の子どもの命がかかってるから!といって、医者から病名を告げられた瞬間に「自分の腎臓を移植して下さい!」と即答できるでしょうか?💦



まだ子どもがいない僕にとっては、難しい判断です…。











僕には医療ミスっていうトラウマがありますからね。



腎臓が1つなくなったとしても死ぬことはないと分かっていても、メスで切られることや体の一部を切除することも怖くてたまらないです。



















…それでも「自分の子どものためならば」と言える日がくるのでしょうか?


















臓器くじもトロッコも、自分が当事者で殺されるとなれば誰でも反対するでしょう。


当たり前です。






みんな自分が一番大切なんだから💧
























…でも、それが。



自分の命の重さが二番目になる日なんて、本当にくるのかな。。。























「人の親になる」ってみんな当たり前に考えてるけど、そんな簡単なことじゃないですよ。




















でもそう考えると、僕にも親がいるわけだ。















そんなこと当たり前なんだけど、そんな「当たり前」にも感謝しないと…。


そう思えるよね😢



















それでは鶴間で、またお会いできることを楽しみにしています✨