けんぴいダンス

社交ダンスホールPlace×Place(プレイスプレイス)in鶴間の紹介ブログ

なんか世界がうるさくないですか?


人間もうるさくないですか?




いや音の話じゃないんですよね…。


「動きがうるさい」って言ったりするじゃないですか。


そんなニュアンスですかね?
















最近なんだか、すごく世界がいびつで歪んで見えるようになってきてしまいました。



これはとても悲しいことです。




なぜなら全てが歪んで見えるということは、自分自身が歪んだ世界にいるということ。




その世界にいる以上、つまりは自分もまた歪んでいるということだから。




自分の目だけは正常だと思ってはいけない。


世界の一部となっている以上、自分だけが特別なんてことはあり得ない。





だからこの世界の歪みを直すことはできない。








そもそも何を基準に歪んでいると思っているのか?


立場や価値観が違うわけだから同じ事柄も見方によって異なる。



善悪なんてものは人によって違うのだ。





だから善悪なんて基準はこの世に存在しない。






そんなこと誰もが頭の中で理解している。


ただそれでも対立がなくならないのは、人はそれぞれ自分の世界で生きているから。





自分というハッキリしたようでいてとても曖昧な世界で生きていて、人間社会の営みの中でふれあい、そこで初めて摩擦が生まれる。


自分の世界だけで生きて誰とも接することがなければもちろん対立は生まれない。



しかし残念ながら人間はそのようには生きることができない。



だからどうしても摩擦が起こる。






でも本当にそうやって生きるしかないのか?




それは自分を1つの個として捉えているから起こるおごりではないか?





たまに宇宙について考える人がいる。


そういう人は宇宙の膨大なエネルギーに感じて自分がちっぽけに感じるそうだ。



自分もまた宇宙のほんの一部でしかないことを実感するらしい。






立場だの性別だの人種だので区別するから衝突が生まれる。



全ては宇宙の一部。

全てが同一体として世界をとらえることこそが、争いのない平和の世界への入口なのかもしれない。




つまり、私は私であり、あなたでもある。




私の幸せはあなたにとっても幸せであってほしいし、あなたの幸せは私の幸せでもある。




個という境界の突破こそが今目指すべき世界への入口なのだと思った。












おわり。